AiAiひろばで行われた鹿児島大学重点領域研究(島嶼)シンポジウム「奄美・沖縄諸島先史学の最前線」
南西諸島の遺伝的な連続性確認
鹿児島大学重点領域研究(島嶼=とうしょ=)シンポジウム「奄美・沖縄諸島先史学の最前線」(鹿児島大学国際島嶼教育研究センター主催)が22日、奄美市名瀬のAiAiひろばであった。遺跡から出土した人骨のDNA分析による奄美・沖縄諸島に住む人のルーツや先史時代の食料事情など、化学的な解析を踏まえた最新の研究成果を報告。会場には行政関係者や観光ガイド、地元研究者など多くの人が訪れ、専門家の新しい見解に耳を傾けた。
この日は篠田謙一氏(国立科学博物館人類研究部)、竹中正巳氏(鹿児島女子短期大学生活科学科)、米田穰氏(東京大学総合研究博物館)、黒住耐二氏(千葉県立中央博物館)、樋泉岳二氏(早稲田大学教育学部)、高宮広土氏(鹿児島大学国際島嶼教育センター)の6人が登壇した。
篠田氏はDNAを用いたヒトの遺伝的な系統について、主に沖縄から出土した人骨のDNAを分析した結果を解説。南西諸島の縄文人からは現代日本につながる系統のDNA(M7a1)しか見つかっていないことや、貝塚時代後期以降(弥生時代以降)は現代の沖縄で多数を占めるミトコンドリアDNAのハプログループが出現していること、弥生時代以降の本土との交流の中で、現代につながる系統が現れていることなどから、農耕ではなく交易が人類の交流を促進したのではなどと考察した。
篠田氏は「南西諸島において古代から近世にかけての遺伝的な連続性を確認することができた」とする一方、奄美からは人骨の出土がほとんどないことから、「奄美のDNAデータが得られたら、より詳細な情報が得られるはず。奄美の中では、喜界島で多数の人骨が見つかっているので、今後は喜界島と本土を比較していくことが必要」などと語った。
竹中氏は沖縄と奄美で出土した人骨を比較し、各時代の顔つきや体つき、埋葬風習について考察。奄美諸島の貝塚時代は短頭、低顔で歯は小さく、身長も著しい低身長の人が多かったとし、「沖縄と比べると、奄美の人骨は身体の特徴にばらつきはない。身体的特徴の由来がどこにあるのか明確な答えはないので、貝塚時代前期以前の古人骨の出土が必要」などとした。
米田氏は骨の化学分析から南西諸島の人々の食生活を解説。「琉球諸島の食生態は一貫して本州・北海道と異なり、時代によって大きく変動している」とし、▽南西諸島の食生活は日本列島のなかで独特▽南西諸島の南北で特徴が異なる―などとまとめた。
黒住氏は螺鈿=らでん=の原材料として貝類が他地域に運ばれたというヤコウガイ交易について、「(交易が)10~12世紀まで続いたという考えもあるが、この時期にサザエやヤコウガイが多く出土する遺跡がないため、更なる検討が必要では」と指摘。また、動物の資源利用について語った樋泉氏は、南西諸島では出土した魚類や鳥獣類の骨の状況から、本格的な農耕の開始に伴い、ウシやウマ、ブタなどの飼育動物が急増していると説明。「奄美の遺跡には、過去の人々の歴史を知るための手がかりが数多く残されている。奄美はこれまでグスク時代(鎌倉~室町)以降のデータが少なかったが、最近になり、喜界を中心に少しずつデータが得られるようになってきた」などと語った。
高宮氏は貝塚時代の人々は狩猟採集民であった可能緒性が高いとし、「奄美・沖縄諸島のような狩猟採集民がいたのは世界的に珍しいとして、海外からも興味深いというコメントをもらっている」と説明。農耕の開始時期についても8世紀~12世紀の間に始まり、「奄美諸島から沖縄諸島に拡散したのでは」とした。
講演後の質疑応答では、特に食に関する質問が多く、「魚や貝以外にはどのようなものが食べられていたのか」「ソテツやシイの実などは、いつ頃から食されていたのか」などの質問も。また、沖縄と奄美で食されていた魚や貝類の種類に違いがあることなどから、「リーフ環境などの違いもあるが、意識的な違いが大きいのでは」という見解を示す場面もあった。