「平和学習に役立てて」

セレモニーで自身の体験を語る大島さん

対馬丸慰霊碑建立記念
宇検村元気の出る館 企画展スタート

宇検村と同村教育委員会主催の対馬丸慰霊碑建立記念企画展『奄美大島と対馬丸―いのちと魂を受け止めた島と対馬丸の縁をたどる―』が1日、同村生涯学習センター「元気の出る館」で始まった。企画展は今月31日まで。

この日は、同村教育委員会や慰霊碑建立実行委員会などが開催を記念してオープニングセレモニーが行われた。また参加者からは、対馬丸事件の悲惨さと平和の尊さを語り継いでもらいたいなど慰霊碑を平和学習に活用してほしいと期待が寄せられた。

慰霊碑は、太平洋戦争中に米軍の攻撃を受けて、沈没した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を悼むものとして、建立。今月19日に同村宇検の船越=ふのし=海岸で除幕式が行われる。

対馬丸は1944年8月、沖縄から長崎に向かっていた途中、トカラ列島・悪石島付近で米国潜水艦の魚雷攻撃によって沈没。子どもや大人約1500人の犠牲者を出し、犠牲者や生存者が奄美大島などに漂着した。同村でも遺体の埋葬供養や、生存者の救護に村民が奔走した。同村の焼内湾には、事件後2週間で100人以上の犠牲者が流れ着いたとされている。

慰霊碑建立は、15年1月に宇検集落から村に要望書が提出されたのが契機。15年5月には、同村の元田信有村長が、村制100周年記念の村誌編集にも生かすため沖縄を訪問して、対馬丸事件の生存者に聴き取りを実施した。沖縄の生存者や遺族からも、慰霊碑建立を希望され救助した側の記録が少ないことから、元田村長は奄美に戻るとただちに対馬丸の遭難者が保護された大和村や瀬戸内町に、救助者の情報提供を求め働きかけた。

15年8月には沖縄県在住の生存者が宇検村を訪れ、村と共に洋上慰霊祭を実施し、15年10月に「対馬丸慰霊碑建立実行委員会」が設立された。11月には沖縄の生存者が、宇検村の救助者を訪問し面会。生存者らは慰霊碑建立予定地を訪問して、心の拠り所になると期待した。

16年6月の村議会定例会では、慰霊碑建立の補正予算は否決されたが、9月の定例会で可決され慰霊碑の工事が着工された。

セレモニーに参加した同村宇検集落の大島安徳さん(90)は、対馬丸事件の遭難者を救助し当時の凄惨な現場を知る数少ない一人。「長年この事件について取材を受けてきたことで、当時の悲惨な状況が生々しく思い出されてつらい時もあったが、今回の対馬丸慰霊碑建立記念企画展が開催されるのは大変うれしい。忘れられようとしている対馬丸事件を知ってもらえる。非常に良い機会だ」と語った。

また対馬丸慰霊碑建立実行委員会の川渕昌春委員長は、企画展開催に「実際に沖縄の対馬丸記念館に行き展示を見て、深い感銘を受け戦争のむごさなどを感じた。慰霊碑が遺族の心の拠り所になり子どもたちへの平和学習に役立ててほしい」と期待した。

企画展は主に沖縄県の対馬丸記念館から資料提供を受けたパネル展。対馬丸記念館発行のパンフレットの無料配布や対馬丸に関するDVDの上映展示も。入場無料で時間は午前9時から午後5時まで(入室は同4時半まで)、3月20日のみ休館。

19日の対馬丸慰霊碑除幕式には生存者や遺族ら約20人が出席する予定。