天城町「下原洞穴遺跡」の第2次発掘調査。円内は新たに検出した人骨=30日、同町西阿木名
奄美群島初確認の縄文「石器製作所跡」の可能性を示す出土資料(A・石錐、B・加工道具のみ形石器、C・砥石、D・石鏃完成品、EF・原形切り出し品)
【徳之島】天城町教育委員会は、3月1日に着手した「下原=しもばる=洞穴遺跡」(西阿木名)の第2次発掘調査の最終日の30日、現地で会見。約4千~6千年前相当の住居・生活活動・埋葬などを示す複合遺跡だが、新たに磨製石鏃=せきぞく=作成など奄美群島初の「石器製作所跡」を示す道具がセットで出土。また、当時すでに「再葬」が存在した可能性も示す石囲い埋葬墓の人骨にも群島初(琉球列島2例目)の「焼骨」が含まれることも明らかにした。
「下原洞穴遺跡」は西阿木名集落の県道から西(海岸)方向に約1㌔、小字名「加万答=かまんとう=」の琉球石灰岩層の洞穴。「崖葬墓」的な聖地の一つで、戦時中は防空壕にも利用された。2010年5月、同町教委の具志堅亮学芸員(33)が関係者との文化財分布調査の際、遺物を表面採取して重要遺跡と認知された。
昨年3月、鹿児島女子短期大学の協力を得て町内遺跡等発掘調査事業(文化庁・県補助)で初年度の第1次調査を実施。縄文時代晩期末(約2500年前)の爪形文土器や貝装飾品を伴い、1次葬骨とみられる2体の人骨なども検出していた。
第2次調査の成果については、具志堅学芸員と、形質人類学専門家の竹中正巳鹿児島女子短大教授(52)=歯学博士=が会見した。徳之島最古(琉球列島最古説も)の爪形文土器(約6千年前、縄文前期)~面縄前庭式土器(約4千年前、同中期)片などを包含層の直上(地下約10~40㌢)から、黒色頁岩=けつがん=類製と見られる石鏃(やじり)が出土。同時にその加工道具(石錐・のみ形石器・砥石)や未完成品なども伴っていることから、奄美群島初検出の「石器製作所跡」の可能性を示唆。
昨年の人骨2体(男女の伸展葬)確認地点の隣接トレンチからは、石積みで囲った埋葬墓と人骨が、タケノコ貝とヘビ貝の装身具なども伴って出土。そして、人骨の一部には焦げた「焼骨」片が含まれ、先史時代遺跡では「具志川島遺跡群」(沖縄県)に続き琉球列島でわずか2例目という。
竹中教授は「骨になってから焼いた可能性があり、洗骨改葬が縄文時代にあった可能性も。トマチン遺跡(約3千~2500年前、伊仙町佐弁)より古い時代に確認できたことは、琉球列島の再葬を考える上で非常に重要」と指摘。
下原洞穴遺跡全般については「墓があって道具(石器)を作製したり、住んだり、食べ物を炊いたりと、この洞穴は複合的に使われている。調査が進むと、もっと古い時代からの人の活動が分かるかも知れない」と期待を寄せた。
今後、出土品の年代測定など裏付け調査を進めるという。