白糖工場跡を現場公開

現場で確認された煙突とみられる遺構

約140人が訪れ見学、関心の高さを示した

煙突とみられる遺構確認
瀬戸内町久慈 県立埋文センター

県立埋蔵文化財センター(堂込秀人所長)は24日、瀬戸内町久慈で調査中の白糖工場跡を現場公開した。午前午後合わせて約140人が訪れて、同センター職員から今回確認された煙突と推定される遺構などの説明を聞き当時の様子に思いを馳せた。発掘調査は、27日終了予定になっている。

白糖工場跡の調査は2回目で、前回の調査で発見されたレンガの構造物(遺構)の性格を把握し、それ以外の施設の検出などが目的。今回の調査は今月5日から始まり、対象面積約千平方㍍にトレンチ(試掘溝)7カ所を設けて発掘調査している。

現場公開に先立ち、同センターの大久保浩二次長があいさつ。「奄美に建てられた白糖工場は、島津斉彬の集成館事業の流れを汲むもので往時を想像してほしい」と語り、「発掘調査や現場公開などに、集落総出の協力があって大変ありがたい」と感謝した。

参加者は2班に分かれて、同センター職員について調査地内を進行。トレンチで工場の施設とみられる遺構や出土したレンガなどの説明を受けた。

センター職員は、「薩摩藩の重要な財源であった黒糖だが、幕末期に讃岐地方の和三盆に押され価格が下落したため、奄美で白糖工場を建設して白糖生産に取り組んだ」と工場建設の背景を説明。また建設には、薩摩藩士五代友厚と長崎の貿易商グラバーが関与しているとした。

工場は文献記録や集落伝承によると、アイルランド人技師ウォートルスが総監督になり工場の建材に輸入レンガや凝灰岩切石などを使用。蒸気機関の洋式機械を導入し、煙突7本、建物が90㍍×27㍍規模(2階建)だったと伝わっている。

今回の調査では、煙突と推定される遺構を確認。遺構は約3・6㍍四方の範囲に、焼土など検出。周囲にはレンガが散乱して見つかった。

この遺構を、高さ36㍍で幅3・6㍍(2間)の最大の煙突ではないかと推定。煙突とみられる遺構の近くには、レンガ敷遺構を検出している。

久慈集落の武田政文区長(73)は、発掘調査にも参加。白糖工場跡について、「2度目の調査で工場の様子がはっきりしてきて、実際にあったのだと感じる」「町の発展のため、西古見の戦跡などと観光ルートで活用できれば」と語った。