押角の大平家跡で解説する澤理事
NPO法人島尾敏雄顕彰会(潤井文子会長)の加計呂麻島散策ツアーが8日、瀬戸内町同島の押角集落などであった。作家島尾敏雄の作品ゆかりの地を巡るツアーに130人が参加し島尾敏雄の原点に触れ、諸鈍の展示・体験交流館で行われた映画『死の棘』の小栗康平監督講演会や映画鑑賞会で作品世界について理解を深めた。
同町図書館・郷土館で受付を済ませた参加者は、古仁屋港から海上タクシー約10隻に乗船。ミホさんの出身地の押角集落に移動し、顕彰会の澤佳男理事(図書館・郷土館の元館長)からミホさんの実家の大平家跡で説明を受けた。
押角集落は、島尾が赴任していた呑之浦の基地から約3㌔に位置。澤理事は、「大平家は薩摩藩政期には、与人職(島役人)を出すなど有力な一族だった」と解説した。
大平家跡から押角海岸に移動し、希望者はミホさんなどが歩いた海岸線を呑之浦の島尾文学碑まで踏破。押角から岩場が続く道のりを、炎天下を2時間弱歩き通して文学碑前の木陰で休憩と昼食を取った。
昼食を済ませた参加者は、海上タクシーに分乗して生間港に移動。諸鈍の展示・体験交流館に、港からマイクロバスで移動し小栗康平監督の講演会を聴講した。
小栗監督は、演題『島尾文学と映画』~私は映画の作り手として、島尾さんの文学からなにを学んできただろうか~で講演。映画化した『死の棘』を文芸誌掲載時から読んでいて、「同時代の鏡として、島尾作品に向き合ってきた」「映画を島尾作品から学んだ」と語った。
講演会終了後に、1990年公開の映画『死の棘』鑑賞会を実施。参加者は、島尾作品の世界など堪能した。
沖縄県糸満市の岡田弘隆さんは、陸軍にいた父が奄美大島沖で船団が撃沈されて助かり島尾隊長の部隊に居た縁で参加。呑之浦は27年前に訪問した時以来2度目で、「今回は生誕100年記念の集まりがあると知り、ぜひとの思いで参加した」と話した。
またこの日は、長男の伸三さんもツアーに参加。今回の生誕100年記念事業祭について両親が存命していたとの仮定で、「父は恥ずかしがり嫌がったかもしれない。母は喜んだかもしれない」と語った。