データをもとその共通点などを考察する調査員ら
新たに位置調査などが行われた観測所跡
瀬戸内町教育委員会は27日、同町久慈集落の久慈水溜=みずため=跡(佐世保海軍軍需部大島支庫)を同じ仕様の施設で比較・検討する「調査指導」を行った。比較対象として調査に加わったのは、沖縄県南城市佐敷で同年代の水溜を管理する㈱島田組沖縄支店・伊波直樹主任調査員。調査員4人は持ち寄ったデータや計測をもとに、それぞれの共通点や異なる特徴などについて意見を交換し合った。
同遺跡は、日清戦争後の1895年(明治28年)、日本領となった台湾への航路維持を目的に、軍事上の要港に内定した久慈に、石炭庫や番舎とともに建造。戦争遺跡としては古い時代の希少な建造物で、現存する貴重な資料としてもその役割を担っている。
水溜跡調査では、その内部構造や形状について徹底的に調査。赤レンガを使用したオランダ積みなどの工法、同じ窯記号と思われる刻印なども確認した。
異なる仕様として、同教委埋蔵文化財担当・鼎=かなえ=丈太郎さんはレンガの規格(サイズ)の違いに着目。「どういった経緯でここだけ異なったのか。詳しく精査することで製造工程や技術の伝播に対する新たな事実も見えてくるかもしれない」と話した。
続いて調査員らは西古見集落に移動し、これまでの分布調査で未確認となっていた大正時代の観測所跡の位置調査を実施。西古見砲台と掩蓋=えんがい=式観測所跡の中間に位置する同観測所跡では、GPSを使い正確な位置を測定しマッピング。内部の窓枠には敵艦との位置関係を測るための島影図が描かれていることなども確認した。
今回の調査を受け伊波主任調査員は「同時代の水溜で比較できたことは大きな成果。久慈は調査・発掘が進んでおり、学ぶことが非常に多かった」と述べ、鼎さんは「沖縄との類型なども確認できたので、今後はお互いの情報共有を密にしながら新たな成果へとつなげて行きたい」と話した。
なお、次年度以降は西古見砲台の堆積物を除去するなど整備を進め、戦争を知るための遺跡としての活用などを予定している。