廣瀬 末雄さん(57)㈱アンジェロセック事業本部部長

「チャンスを逃さない気持ちを持って」と語る廣瀬さん=新宿西新宿の新宿アイランドタワーの同社にて


ブータンで民族衣装を着て左からテンジン・ブータン公共事業省道路局長、廣瀬さん、カルマ・公共事業省道路局橋梁部長

土木技術協力者として途上国飛び回る
 「職業として海外があることを知った」

 【東京】海外の途上国を飛び回り、道路や橋梁の設計から施工管理までの仕事を行っているのは、1979年に大島工業高校土木科を卒業した廣瀬末雄(ひろせすえお)さんだ。

 廣瀬さんは高校卒業後、奄美市名瀬塩浜町で「廣瀬洋裁店」を営んでいた父親の地元、名古屋に上り、土木事務所に就職。島の人が誰もいないところで闘っていこうと思ったが、学卒で給料が決まる現実に接し、「勉強せんといかん」と発奮して翌年、名城大学理工学部工学科へ進んだ。

 卒業後、就職した会社では国内のトンネル設計や、道路設計の職務を経験。続いて調査研究を経て、道路計画トンネル、道路設計、施工計画・積算、施工管理までの土木全般を行っていた。だが、国内での公共事業の仕事が減ってきたことなどを契機に2004年、勤務先の㈱建設企画コンサルタントが、日本政府が無償で行うマダガスカルでの国道7号線バイパス建設計画の施工管理の技術サービス者を募集していたので手をあげたという。43歳。そこから英語の勉強も必死に始め、13年にはTOEICスコア785点の資格を取得した。

 「現場では日本の技術を学びたいので、外国人の彼らの方が日本語を覚える。『あれ、持ってこい、これ持ってこい』とか、日本語で話しだすんですよ。心が通じていくんですよ。面白いですよね」。

 仕事はほとんどがJICA(国際協力機構)からの発注で、対象国は、タンザニア、ブータン、東ティモール、カメルーン、モザンビーク、エチオピアなど途上国でも政情不安な国への派遣はなく、土木科で学んだ「建設技術がまさか海外という職業につながるとは思わなかった」と自ら驚きを隠さない。現場では「ドボジョ」(土木系女子の略)や70歳過ぎても働く日本の技術者も多いという。

 「島に生まれて育った、ポジティブさとのんびりしたところは本当に途上国では役に立つのは間違いない。高校までは気合い入れずに、島んちゅじゃがあって島を楽しんだらいい。どこかで立ち止まって考えるときは必ずあるから、そこで、チャンスを逃さない気持ちを持てばいいと思う」と語り、「東京、大阪、日本を越えたところに仕事があることをどこかで思っていて欲しい。島でも海外を目指して」と若者たちに訴える。

 そしてもう一つ。トンネルの多い奄美については一家言。「毎日、同じトンネルを通勤や通行する人たちにドライブレコーダーやスマホの振動計を利用して、日々調査するメンテナンスの導入をすれば、島のインフラの延命化が図られる」と行政だけではなく、市民レベルで「道路見守り隊」の編成をとのアイデアも。

 海外のいろんな国に仕事で訪れている廣瀬さんは、「島の海が一番きれいじゃが。奄美出身をうらやましがられるようになり、ますます自信がつきます」と方言も出て、翌日にはタンザニアへ飛んだ。豊富な経験と実績を引っさげて。