東京と奄美との関わりなどを熱く語る松下正所長=平河町の鹿児島県東京事務所で
【東京】鹿児島県東京事務所長に徳之島出身の松下正さんが、この4月から就任した。東京事務所を率いる立場に奄美で生まれ育った出身者が就いたのは初めてのこと。就任から約3カ月。故郷と東京の架け橋として日々奮闘する松下さんにインタビュー、抱負などをうかがった。
前職は、環境林務部次長兼奄美世界自然遺産総括監だった。「昨年の国際自然保護連合(IUCN)の現地調査にも同行し、調査員に自然だけでなく奄美の伝統文化なども説明した。登録延期は想定外ではあるが、奄美の貴重な自然を次世代に継承していくことが重要であり、その一環で奄美が世界に誇れる宝になれば幸いであると自然遺産登録を願う」。まなざしに、強い決意の表情を見せる。
伊仙町に生まれた松下さんは、大学時代に「島出身の先輩方と焼酎を酌み交わし、島の将来について熱く語り合ったことで県庁入りを決意」。1985年に入庁、離島勤務を希望した初任地は大島支庁厚生課(現地域保健福祉課)だった。
「当時、島の皆さんに本当にお世話になりました。迷惑もお掛けし(笑い)、その数と同じご恩もいただき一生忘れません。まだご恩を返せておりません」
90年に国土庁(現国土交通省)特別地域振興課奄美振興係の研修生として初の東京勤務。その後、徳之島事務所総務課、交通政策課などを歴任。28年ぶりの東京勤務となった。群島で生まれ育った者が就いたのは初の快挙だ。
「歴代所長が暮らした官舎に単身でいるので、広すぎて(笑い)。そんなこともあり、昨年世界遺産の担当になった時と同じように、目に見えないプレッシャーを感じますね。ですが本年度は、奄美振興法の延長の年でもあり、地元の思いに応えるために、国への要請活動をバックアップしたい」。
そう熱い思いを口にする一方で、関東在住の奄美の出身者から熱い歓迎を受けた。「先人の方々が激動の時代を乗り越えたからこそ、現在の繁栄につながっていることに敬意を表すのみである」と静かに語る。
また、昔と比べて東京が捉える奄美の雰囲気が変わってきたとも実感している。「県の職員は離島に必ず一度は赴任します。昔から〝行くときに泣いて、戻るときに泣く〟と言われます。まさに大河ドラマ〝西郷どん〟のようなもの。子育てのタイミングで奄美に行った場合、子ども達のふるさとが奄美になるケースも目立ちますね」。
仕事やプライベートで群島を隅々まで訪れ、「名字を聞いたらだいたいの出身地は分かります」とのこと。そんな新所長の一日は、世田谷区下馬の官舎からのランニングから始まる。5時半起床、6時前にスタートし、目黒、代官山、表参道など約8㌔を走り、永田町へ。シャワー室に駆け込んだのちに執務にかかる。
「趣味がジョギングで昨年までは徳之島トライアスロンをはじめ、離島のマラソンを走破していたので、全く苦になりませんね。休日は20㌔近く走り、4月からの走行距離は千㌔を超えたでしょうか。もうすぐ鹿児島に到着する距離でしょう」。
東京マラソン出走と富士山登頂を目標にする松下さん。だが、奄美と東京、そして鹿児島と一層の絆を深めるために、その健脚はさまざまなフィールドで披露されることだろう。
メモ
(まつした・ただし)1961年、伊仙町生まれ。町立犬田布小学校、熊本マリスト学園中学・高校から鹿児島大学法文学部卒。85年鹿児島県庁入庁、垂水市副市長、3回の離島振興課勤務などを経て、この4月から鹿児島県東京事務所長に就任。同郷の直子 夫人は鹿児島市内の高校勤務、一男一女は成人している。56歳。