果樹農業、50年の歩み綴る

果樹農業、50年の歩み綴る

果樹農家として50年間の歩みを自分史に刻んだ平井さん。産地の成長、発展を見守り続けている

名瀬浦上 平井さん、自分史出版
先進地視察繰り返し経営安定へ
「感謝の気持ち伝えたい」

 奄美市名瀬浦上町の平井学さん(70)が、自分史『果樹農業を夢見て50年 農人のひとりごと』を出版した。防風樹が整備・管理された本茶果樹団地などで全国に知られる高品質のタンカンを安定生産、その50年の歩みを綴っている。国内だけでなく海外を含めて先進地視察を繰り返し、技術や農家としての姿勢を習得し自らの経営に生かしてきた平井さん。「名瀬の果樹農業が成長することで、奄美全体の果樹農業の振興へと飛躍する」という文言に、平井さんの情熱と功績が刻まれている。

 自分史執筆は、集落誌である『浦上誌』の発刊にあたり、復帰後の浦上における農業と果樹農業の歩みを担当したのがきっかけ。70歳を迎えるにあたり「お世話になったみなさんへ、まだ元気なうちに感謝の気持ち(自分史プレゼントを通して)を伝えたい」と一念発起した。

 執筆にあたり、手元にあった新聞のスクラップ(平井さんの果樹農業の実績は地元紙だけでなく県紙、全国紙で数多く取り上げられている)や三種類のメモ帳、報告、農業の事例発表などを改めて読み返し、思いつくままに書き記したところ、大学ノート7冊にも及んだという。2016年11月から書き始め、今年7月に自分史を上梓した。

 500部発行した自分史は、生い立ち、学生・サラリーマン時代、そして奄美に戻っての就農の歩みを克明に掲載。長年の歩みで平井さんがターニングポイントとして挙げるのが「昭和47年(1972年)」。就農4年目、24歳のときだ。父親からの経営移譲、農地の名義変更と果樹園経営者としてスタート。さらに新聞紙面に掲載されたエルニーニョの記事から気象に関する知識の必要性に気づき関連書籍を購入。自分史にはこう記している。「当時は、今のようにひまわり衛星で雨雲の画像などない時代であり、天気予報は当たらないとよく言われていた」「現在は、日々の天気の移り変わりに関心がある私は、天気予報を一日に5回くらいは見ている。ひまわり画像やウェザーニュースで天気予報を見る日々だ」。気象への関心と知識。それが自らの対策で自然災害を回避(抑制)する「防災営農」につながっている。

 この年には、鹿児島県内の果樹農業関係者を対象にした長崎・佐賀県での果樹研修にも参加。奄美からの参加は平井さん一人だったという。こう振り返っている。「両県は生産意識が高く、一貫した立派な指導がなされ、うらやましい限りだった。研修で得た知識や技術で今後の栽培方法を試すことに大いに役立った」。先進地研修は全国ほとんどの地域を訪れている国内だけではない。台湾、ニュージーランドといった海外視察研修にも参加しており、なかでもニュージーランド研修では機械化体系確立による省力化が参考になった。その後自らの果樹園でも農作業の省力化につながる機械を導入。先進地研修が経営の改善、安定をもたらした。

 現在は島内外から視察される立場となった平井果樹園。平井さんは話す。「これまでの歩みで蓄積してきた栽培技術や知識が参考になれば幸いという気持ちで、訪れるみなさんに説明している。高品質のものをつくり、農家も販売に関心を持ち、お互いが成長していくことで産地が成長し発展していく」。奄美の果樹農業のけん引役として平井さんは存在し続ける。