慰霊碑の前で献花を行う、右から喜島議長、元田村長、松井富彦副村長、村野教育長
宇検村宇検集落(津田正廣区長)は26日、同集落船越=ふのし=海岸の対馬丸慰霊碑前で2018年度第2回対馬丸慰霊祭を行った。村当局や集落住民などが参加し、対馬丸事件の犠牲者の鎮魂を祈り平和を誓った。式典で慰霊碑は平和学習を学ぶ場として活用し、悲惨な歴史を語り継いでいく決意などが述べられた。
1944年8月22日、米軍潜水艦の魚雷攻撃で鹿児島を目指していた学童疎開船の対馬丸は撃沈されて、同海岸には遭難者や遺体が多数漂着。同集落の住民たちが救助活動や、犠牲者を海岸に埋葬していた。
集落などが要望して、昨年3月に慰霊碑を建立。8月に慰霊祭を行い、11月には奄美と沖縄の交流事業で奄美入りしていた沖縄県の故翁長雄志知事が同地を訪れ、村や集落に謝意を伝えて献花していた。
慰霊祭は約40人の参列者が、事件の発生した悪石島の方向を向いて黙とうで開始。今年4月に新区長となった津田区長は、「昨年慰霊碑を建立し、慰霊祭を開催できたことがうれしい。亡き翁長知事から感謝が述べられ、平和学習の交流も呼び掛けられていた。11月には慰霊碑に献花していただいた。悲惨な歴史を伝承する場所、平和教育に生かしていくことを決意した」とあいさつした。
追悼のことばで元田信有村長は、「事件から74年が経過。村の歴史として風化させず、語り継がなければならない」「沖縄と奄美は新たな交流事業を展開。子どもたちの交流を通して、世界の平和とお互いの地域の発展のための活動を開始した。これは対馬丸慰霊碑の建立が基になっており、今月17~19日に対馬丸平和学習交流会を実施した」と述べた。また今月8日の翁長知事の急逝にもふれて、「悲しい出来事。改めてご冥福をお祈りする。戦争を二度と繰り返さないように、沖縄と奄美の更なる交流を深め力合わせて取り組んでいく」とあいさつした。
続いて元田村長や喜島孝行議長、村野巳代治教育長などから順に、慰霊碑前で献花。慰霊祭に参加した久志小学校の小学生7人も献花して、慰霊碑の前で手を合わせた。
慰霊祭後に津田区長は、「慰霊碑が建立される前は、有志の人たちで事件の犠牲者に哀悼の気持ちを持っていた。現地に慰霊碑があることで、今後も平和教育のシンボルとして活用していきたい」と話した。