半川遺跡の学術調査終盤

半川遺跡の学術調査終盤

調査の終盤を迎えた半川遺跡

堅果類伴う土坑や石器出土
鹿大島嶼研分室 年代測定調査など詳細分析へ

 龍郷町赤尾木の半川=はんごー=遺跡の学術調査が始まって一週間がたち、調査にあたっている鹿児島大学国際島嶼教育研究センター奄美分室によると、これまでに四つの文化層や土坑3基などを発見。堅果類の炭化物も検出しており、今後の年代測定調査と整理作業などで詳細な分析を行い、土器形式や食性などの解明を行う予定。

 5日に設定した約1・5㍍×約1・5㍍の試掘坑(トレンチ)は、一部が2005年の奄美考古学研究会と大島北高校の郷土クラブの生徒らが調査した時に途中まで発掘済だったことが判明。調査員が土質や出土する遺物に注意しながら掘り下げて行き、上は7~8世紀ごろとみられる時期の文化層から、下部は縄文時代前期ごろ(約7000年前)とされる爪形文や押引文が入った土器の文化層まで4枚の文化層を確認した。

 ほかに石器でチャート製のスクレーパーが1点出土。遺構として3基の土坑を検出。下位の地層から発見した土坑は、シイ属とみられる堅果類の炭化物が土器片などと出て来ているという。

 同大埋蔵文化財調査センターの新里貴之助教は、出土した土器で時期がはっきり分かるものは兼久式土器(7~8世紀ごろ)や、面縄前庭式土器(縄文時代後期初めごろ、約4000年前)を例示。「それらの下位の地層から連続刺突文や沈線文が施された土器片が見つかっていて、詳細な分析を整理作業時に行う」とした。

 堅果類の炭化物を伴う土坑について、島嶼研の高宮広土教授は「焼けた堅果類が穴に落ちたのか、穴に埋めていた堅果類の上で火が燃やされ炭化したのか詳細は不明。いずれにしろ人の手が加わっているだろう」と語った。

 調査員の同大大学院人文社会科学研究科1年の中尾綾那さんは、すでに徳之島の下原遺跡での調査を経験しているという。「奄美大島では初めての発掘調査だが、すごい遺跡で貴重な経験ができている。将来は奄美で旧石器文化の遺跡を見つけたい」と感想を話した。