~歌姫~城南海物語 05=鹿児島編・後編

2017年月に霧島アートの森で=増森健一郎提供。増森自身が主催したイベントの際に

証言者が紡ぐ奇跡の10年
シマ唄が運んできたスカウトとの出会い警戒心を抱きつつ夢への切符を手中に!

 偶然にも心の奥に響いてきた城南海の歌声。彼女の前に陣取ったスーツ姿の二人の男は、互いを見て納得するようにうなずいた。そして、「今度オーディション受けませんか」とチラシを置いていった。2007年、鹿児島市中央公園。南海にとって、歌手という夢の地図を手にした瞬間だった。

 大手映像・音楽ソフトメーカーであるポニーキャニオンが、当時出資していた子会社ポニーキャニオンミュージック(現ポニーキャニオンアーティスツ)が、各地に次代のスターを探すスカウトを派遣していた。その九州担当者が、たまたま通り掛かった鹿児島市中央公園で、シマ唄のパフォーマンス中だった南海と出会うのである。「怪しいなと思っていましたら、オーディションのチラシを置いていったんです。たまたま公園を斜めに横切った所に私が唄っていて、声を掛けたのも私が最初だったとうかがいました」。奇跡が重なったシーンを後に知るのだった。東京の表参道や渋谷なら、よくある話だろう。高校二年を迎えたばかりの無邪気な少女が不信感を抱いたように、大人も反応した。

 担任の増森健一郎は、「城がポニーキャニオンの人からスカウトされたという話を聞きました。そのときは、相手を信用していいものか少し迷い、城には慎重に対応するように指導したと記憶がある」。余談だが、「鹿児島では珍しいらしく、城ちゃんとも呼ばれていましたね」(南海)。その後、6月の文化祭で南海が幕間の出し物としてシマ唄を披露することになり、その様子を見学したスカウトと名刺交換した増森は、「城の歌声にほれ込んでいることが分かり、名刺の住所等も確認できたので、本当のスカウトだと確信できた」。注ぐ愛情に比例して警戒心は大きかった。まさか歌手になるとは夢にも思っていなかった父親・泰夫はなおさらだった。「まだ十代の娘が明日のことなど分からない厳しい異世界へ足を踏み出すことに不安な気持ちを抱かない親はいないと思います」と語尾を強める。

 南海が尊敬と親しみを込めて「おじき」と呼ぶ元ちとせは、デビュー前に同級生から紹介されていた。「デビューしたのは、福岡のイベントで一緒になって知りました。かわいらしさも力強さも変わらず、芯がぶれない彼女は、そのときから変わりませんね」。奄美を歌で全国区にした先輩は、妹のように接してくれている。スカウトの満足そうな顔とは対照的に南海は、不安げな表情だったが、その瞳は輝いていた。次の季節を迎えるために。

 (高田賢一)=敬称略・毎週末掲載