保岡氏告別式

保岡氏告別式

親族を代表してあいさつする保岡宏武氏=左から2人目=

「政策、国民の公益に貢献」
奄美からも多数の弔問客

 【鹿児島】19日にすい臓がんのため79歳で亡くなった元法務大臣の保岡興治氏の葬儀・告別式が24日、鹿児島市大竜町の吉田葬祭典礼会館で営まれた。県内外、奄美からも政財界を中心に多数の弔問客が訪れ、故人を偲んだ。

 保岡氏は裁判官、弁護士を経て1972年に衆議院の旧奄美群島区で初当選。以来当選13回、約38年間にわたって衆院議員を務めた。00年の第2次森内閣、08年の福田内閣で法相として入閣。司法制度改革や裁判員制度の導入などに尽力したが、17年の衆院選直前にすい臓がん治療に専念するため政界を引退した。

 告別式は保岡家と自民党の合同葬で営まれ、自民党県連の森山裕会長が実行委員長を務めた。森山委員長は「法務のプロとして様々な要職を歴任し、先生の提言された法律、政策は多くの国民の公益に貢献した」と評した。弔辞を述べた衆院議員の石原伸晃氏は、98年の金融国会で深夜にまで及んだ勉強会や議論の思い出を振り返り「何事にも屈しない政治姿勢を自分も模範にしたい」と語った。親族を代表して長男・宏武氏がお礼を述べ「父の志を受け継ぎ、果たせなかった思い、夢を実現したい」と語った。

 弔問には三反園訓県知事をはじめ、奄美選出の衆院議員、県議会議員、奄美群島の首長も参列。三反園知事はかつて政治記者時代に「永田町の政治について熱く語っていた」と保岡氏との思い出を語り「郷土・鹿児島の行く末をこれからも見守って欲しい」と哀悼の意を述べていた。