「神戸奄美会館」の利用呼び掛け

「神戸奄美会館」の利用呼び掛け

会館建設に寄付した名前が掲示された壁に思いをはせる中井和久神戸奄美会会長、奥は管理人の安田征夫さん(徳之島出身)

会場内を案内する、中井会長と安田さん。利用者の増大を願っている

多くの人たちの善意で建てられた「神戸奄美会館」=25周年記念誌より

神戸奄美会 会館存続発展願い活動
半焼、移動など困難見舞われた経緯も

 【東京】先月中旬に「第5回奄美群島地域振興展」が、にぎやかに開催されたが、イベント大成功の支えとなったのは「神戸奄美会館」だ。イベント会場への物品などを送り出す「中継点」的な存在となっているほか、島出身者たちの踊りやシマ唄の練習場としても多様に利用されている。1993年11月に完成を見た同会館は、阪神淡路大震災で半焼、再開発事業での移転など、困難に見舞われた経緯がある。今果たしてどうなっているのだろう。

 会館があるのは、JR神戸線新長田駅から歩くこと約5分。店舗などが入る3階建て建物の一部だ。

 2、3階では徳之島の伝統芸能「夏目踊り」や奄美大島のシマ唄教室などが開かれ、ときには郷土料理を持ち寄り黒糖焼酎も酌み交わす。「故郷を思い、いつでも集まれる憩いの場が必要だ。自分たちの会館を造らにゃいかん」。建設委員長を務めた、徳之島出身の大澤正良さんの思いに賛同した出身者らが寄付を頼んで回り、遂に「神戸奄美会館(当初は神戸奄美むつみセンター)」が完成した。

 昨年、設立25周年を祝った。神戸奄美会の会員や、奄美の市町村から約1億円もの寄付が集まった。神戸奄美会・中井和久会長は、「当時はバブルが崩壊し、経済的低迷期に突入した時だった。当時の神戸奄美会のリーダーたちは、会館取得によく踏み切ったものです」と振り返る。こうして、全国でも珍しい奄美の人たちの手で、会館が出来上がった。

 それから1年2カ月後の95年1月に、神戸の街を震災が襲う。会館は焼け、出身者の多くが被災した。修繕して利用されていたが、再開発事業で2001年、元の場所から近い現在地に移動した。

 四半世紀にわたって出身者の心の支えとなってきた神戸奄美会館だが、少子高齢化の影響などもあり、利用者は減少の一途をたどっている。だが、「先輩たちの恩に報いるため、会館の存続発展しかないと肝に銘じている」と、中井会長は力説。郷土の文化継承・発信の場を「2世、3世も含め多くの人に利用してほしい」と呼び掛けている。

 「奄美はひとつ」を合言葉に、会員の幸せ、地域と神戸奄美会館の発展を願い、神戸奄美会は、今月19日に開催される神戸まつりのパレードに今年も参加する。