名瀬から発信・環境文化シンポ

環境文化をテーマに名瀬の街の移り変わりやシマとのこれからの関係などをシマに縁ある住民などが意見を交わした

若い世代 「郷友会意識が希薄化」
活動報告やパネルディスカッション

 鹿児島大学環境学研究会は環境省沖縄奄美自然環境事務所、鹿児島県と共催で23日、奄美市名瀬のAiAiひろばで第3回環境文化シンポジウム「名瀬のむかし、奄美大島のこれから―名瀬から発信する奄美の環境文化を考える―」を開いた。環境文化をテーマに元から住んでいる住民や、近隣町村から移住して住み続けている出身者の2世などが参加し、活動報告やパネルディスカッションを通して、名瀬の街の移り変わりとシマ(集落)の関係を考え次世代にどうつないでいくかなど活発な意見が交わされた。

 シンポ冒頭に同大の馬場昌範研究・国際担当理事・副学長や、同事務所の東岡礼治所長(代読)と県自然保護課の羽井佐幸宏課長があいさつ。同会の小栗有子准教授が、コーディネーターとなり司会進行した。

 第1部は「シマのくらしと名瀬の街」と題して、これまで2回開催された環境文化シンポジウムの概要や、この日午前中に実施した名瀬の街散策の内容を案内者が報告。小栗准教授は「環境文化の意味などを奄美に暮らす人と一緒に考えたい。今後も環境文化を奄美の自立的な発展に寄与するものにするため、提案できる場所づくりをしたい」と話した。

 第2部の「名瀬のむかしと今を振り返り、名瀬とシマのこれからを考える」では、同会の星野一昭特任教授がコーディネーターとなりパネリスト5人が登壇。パネリストからは区画整理事業やSNSの普及などで、名瀬の市街地や郷友会の活動等に変化があったことが報告された。

 奄美博物館の高梨修館長は大川ダムの建設や、永田橋市場で薪=まき=が売られていて喜界島の人が購入するため船で来ていたことを紹介。「ダムを作り、山に入り薪を切っていたのに自然が残り、世界自然遺産に推薦された」と人と自然のつながりを説明した。

 郷友会について両親が宇検村出身の新元一文さんは、「郷友会に若い世代がいなくて、参加していたが、活動を抜けた」と発表。「出身者の子や孫の世代になると、郷友会の意識は希薄化しているのでないか」とした。

 住用町市集落の山下茂一区長は、集落から名瀬市街地に向かう車の通行できる道が1969年に開通し、救急医療の面で不安解消したものの、人口流出を招いたことを報告。その他、名瀬の八月踊りの保存伝承活動や、大和村の郷友会連合会の総会にIターン者を出席させた取り組みなどが発表された。

 小栗准教授は「奄美は人口減少で、岐路に立っているのでないか。昔は海も山も人も、今より近かったのだろう。人と自然の関係が切れることで、人との関わりも希薄になっているのでないか」と締めくくった。

 シンポジウムに参加した名瀬出身の鹿児島大学法文学部3年の森蓮さん(20)は、「これから奄美に多くの人が出入りすると思うので、シマのことを知って伝えていくことが大事。こうしたシンポジウムが、これからもっと必要だろう。次のシンポジウムがあれば参加し、もっと奄美のことを学んでいきたい」と話した。