療養所生活などを振り返り、偏見や差別について語った上野正子さん
ハンセン病問題啓発講演会で上野さんの話に聞き入る来場者ら
ハンセン病問題に対する正しい知識や理解を深める啓発講演会が16日、奄美市の国立療養所奄美和光園講堂であった。市民ら約150人と同園入所者らが来場、ハンセン病元患者への差別などを描いた映画「あん」の上映に続き、鹿屋市の国立療養所星塚敬愛園の入所者で同映画のモデルでもある上野正子(92)さんが講演。ハンセン病に対する差別や偏見と闘い続けてきた79年に及ぶ療養所生活などを振り返った。
沖縄県石垣島出身の上野さんは、13歳の時に、父親に連れられ星塚敬愛園に入所した。上野さんは「1歳と2歳の弟が港に見送りにきてくれた。『ねぇね(お姉ちゃん)早く帰ってきてねー』と小さなもみじのような手を振ってくれた光景が、今でも目に焼きついています」とふるさとを離れた時の様子を振り返った。鹿児島ではタクシーに乗車拒否され、星塚敬愛園到着後も病気がうつるからと水の入ったコップに触らないように言われた体験なども語り、「偏見や差別をまだ知らなかった子どもが、初めて味わった辛い思い出」として、今も記憶に残っているという。
2カ月ほど治療したら帰れると言われ入所したが、79年が経過した現在も療養所生活を続けている。上野さんは「1801号という入園番号が付けられた。名前も須山八重子という偽名を使うことになり、以降は八重ちゃんと呼ばれるようになった」と話した。園内で出会った元警察官の夫と結婚したが、「夫は結婚の条件として断種手術を受けさせられていた。残念でならなかった」と子どもを持つことができなかった悲しみも語った。
ハンセン病に対する偏見や差別を受け続けた人生を振り返り、「なにか責務や使命のようなものがあってハンセン病になったのだろうと、今は思っています。病気になったことで、戦争も生き延びることができたと感謝しています」と話した。
講演を聞いた同市名瀬小浜町の小野千景さん(52)は「本などで上野さんの事は知っていたが、実際に本人が語る内容に胸の詰まる思いがした」と話し、同市名瀬仲勝の上野和美さん(41)も「とても辛く悲しい経験をしてきたことが伝わってきた。ただ、とても前向きで明るく話す上野さんの声にこちらが、元気をもらったような気がする。差別やハンセン病に対する偏見のない社会をつくるため、できることからしようと感じた」と話した。