天城町の重要遺跡「下原洞穴遺跡」を見学する九州縄文研究会の研究者ら一行=24日、同町西阿木名
【徳之島】九州縄文研究会(会長・宮本一夫九州大学副学長)一行は24日、天城町での第30回九州縄文研究会・鹿児島大会に続いて島内の遺跡見学会を行った。奄美群島最古の「隆帯文(りゅうたいもん)土器」(約1万3千~1万4千年前)などが初出土した調査中の「下原(したばる)洞穴遺跡」(同町西阿木名)について、宮本会長は「将来的には国指定史跡になれる。(下層からは)旧石器時代の人骨が出てくる可能性も」など見解を示した。
同研究会一行(約25人)は、伊仙町の面縄貝塚遺跡と徳之島カムィヤキ陶器窯跡遺跡(いずれも国史跡指定済み)に続き、天城町西阿木名集落から海岸方向の琉球石灰岩段丘下に位置する下原洞穴遺跡へ。同町教育委員会の具志堅亮学芸員が2016年3月以降の調査概要を説明。約4千~6千年前相当の住居・生活活動・埋葬なども示す複合遺跡で、17年の第2次調査までには磨製石鏃(ぞく)作成など奄美群島初の「石器製作所跡」を示す道具が出土。「再葬」可能性の石囲い埋葬墓の人骨も確認。隆帯文土器まで溯ることなど特徴を報告した。
宮本会長は、同遺跡への感想など奄美新聞のインタビューに「まず隆線(帯)文土器が南島地域で初めて出たことに価値が。古い土器文化は九州島から入ってきている。その後、この地域独特の爪型文土器が育まれる意味で大変重要な遺跡」。形態的には「(南島は)洞穴・岩陰遺跡が多いが、その中で縄文時代の一番古いものから新しいものまで連綿と人々が生活していて、お墓があり人骨の研究にも大変重要な成果が上がっている」と評価。
さらに、最下層では約2万~2万5千年前の旧石器時代の可能性があり、沖縄県石垣市「白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡」=約2万7千年前の全身人骨など出土、国指定史跡=と同様に、「旧石器時代の人骨が出てくる可能性も。将来国指定史跡になれると思う」とも強調する。
当時の交流など解明の手掛かりには、「南西諸島をトカラ以北、奄美・沖縄、宮古(先島)に大きく3つに分けると、沖縄と奄美は先史時代に、海を通じて非常に近い存在であり多少の地域的な違いも分かった。海を媒介とした連綿とした交流がある」。そして、「私が面白いと思っているのは、旧石器時代は台湾などから人が渡って来たと考えられているが、縄文文化はどちらかというと九州島からであり、豊かなこの島に根付いて、独自の狩猟・採取文化を形成。その後も波状的に九州文化の人々がやって来たことが考えられる」とも。
九州離島初の今回の九州縄文研究会は「大変有意義な会だった」と話した。