「身近で」奄美出身者新型コロナ感染ルポ(2)

「身近で」奄美出身者新型コロナ感染ルポ(2)

療養者の宿泊ホテルの部屋から

 

 

知らない電話でも「必ず出て」

 

 【4月23日】自宅前で待っていると、救急車と見まごう車がやってきた。近所の人は救急車が来たと思っただろう。この場合、収監という言葉が正しいのかはわからないが、保健所が手配した、その車に乗って息子は相模大野にあるホテルに収監された。

 「濃厚接触者」になった私たち夫婦は、案内のあったLINEに友達申請した。毎日、LINEのチャットで体調を見守る方法で、質問事項に答えていくだけの非常に簡単なシステムだ。スマホに多摩区の担当者から連絡が入った。4月26日にPCR検査薬を届けるとのこと。その際に「知らない番号からかかってくるので、知らない番号でも必ず電話に出るように」とのことであった。

 予告通り、朝10時30分に知らない電話番号から電話がかかってきた。「午後1時から2時の間に、玄関のドアノブに検査薬をぶら下げておきます」とのことだった。午後1時30分にまた電話がなった。「ドアノブに検査薬をひっかけておきましたから」との連絡。玄関のドアを開けると、検査薬が2人分入っているビニール袋がドアノブにかけられていた。早速、説明書を読むと、27日の朝、午前9時30分から10時30分の間に、唾液をビニール袋に入っているプラスチックの容器に採取して、ドアノブにひっかけておいてください│とのことであった。

 【4月24日】体調はすこぶる快調。「濃厚接触者」としての自覚が全くない。

 【4月25日】昨日に続いて体調に変わりはない。なぜ、「濃厚接触者」になった次の日に検査をしないのか不思議だった。理由は、土・日曜日と役所が休みだからなのかと思ったが、「濃厚接触者」と判断されてから2日から3日程度たたないと、正確な検査ができないからと説明された。

 【4月26日】体調に変化はない。説明書通りに唾液採取の1時間前までに、食事と歯磨きを済ませ、指定された容器に唾液を採取した。容器に記されたラインまでの量を入れるには、1回の採取量では済まず、4・5回採取してやっと指定の量を確保した。

 言われた通りに唾液の入った検査薬を、届けられた時と同じようにドアノブにひっかけた。11時にまた昨日とは違う知らない携帯番号から電話があった。
「唾液の入った検査薬を回収した」とのことであった。

 【4月27日】今日も体調に変化はない。「午後2時までには、検査結果を報告します。遅くとも午後4時には結果を報告します」ということだったが時計は午後3時50分を過ぎている。いまだ連絡がこない。体調も変わっていないし、楽観視している。気が気でないのはかみさんのほうだ。かみさんに促されるままに多摩区の担当部署に電話をした。少し電話口で待たされたが、結果はすぐに報告された。「ご主人の○○さんは陽性です」。よかった、陰性だった。「奥様は陰性でした」。良かった、2人とも「陰性」だった。

 「うん?」今、私の検査結果は「陽性」と言った? 担当者の明るい声の調子で、てっきり二人とも陰性だと勘違いしてしまった。聞き直した。完全な思い込みだった。私だけが「陽性」だった。夫婦ともに陰性だと思っていたので正直ショックだった。

 「とうとう、恐れていたことが起きてしまったか」。覚悟はしていた。担当者から「自宅療養にされますか? それとも宿泊設備のあるところで療養しますか?」の問いに、「妻にうつすのは絶対に嫌なので、ホテル療養でお願いします」。妻は7つ年上の姉さん女房で、やがて70歳の高齢だ。重篤化する恐れがあるリスクは極力避けなければならない。

 これで息子と同じに、ホテル療養は確定した。担当から、「濃厚接触者」から「コロナの感染者」になると扱いが川崎市から神奈川県に移管される。この後、県の担当部署から連絡が入るので、連絡を待つようにとのことで電話は終わった。変な話、息子がコロナ感染者の先輩になった。ある意味頼もしい。かみさんは息子から滞在するのにあったほうがいいもののリストを聞いてバッグに準備してくれた。

 夜の9時に、県の担当者から電話が入った。
明日から療養するホテルが決まったということであった。滞在期間は5月1日まで。この期間は感染日から算定される。いろいろ聞き取りがありその中で、感染日を決める。私の場合は、4月20日ということになった。すでに6日経っているので、ホテルにいるのは4日間ということになる。

 また明日、輸送会社から電話があるので、「知らない電話から電話があっても絶対に出るようにしてくれ」とのことだった。自分の携帯は仕事で使っているので個人のもので、個人のものではない。知らない電話番号からかかってきても100%電話に出るのだが、多くの人は出ないのだなあと想像できた。