世界遺産と暮らし 住用から =上=

川底が見渡せるほどの清流がある環境は「川遊び」を可能にしている。暑さを忘れる冷たさに浸れることから夏場は多くの人でにぎわう

自然と調和でこそ生存

 奄美の自然のシンボル、象徴と言えば何を思い浮かべるだろう。やはりアマミノクロウサギではないか。奄美大島と徳之島のみに生息し、世界のどこにも近縁種がおらず、現存するウサギの中で最も原始的な姿を残していることから「生きた化石」と称される。

 そんなクロウサギが先史時代の遺跡で確認されている。伊仙町にある面縄第2貝塚の発掘調査により出土した脊椎動物の骨を分析したところ、鳥獣類ではクロウサギの出土量が多く、イノシシに次ぐ量だったことが判明している。遺跡は、私たちの祖先の生活(暮らし)跡だ。クロウサギの骨の出土は、「沖縄・奄美貝塚時代前4期(4000~3000年前の縄文時代後期)においてアマミノクロウサギは食料の対象となっていた」ことを示している。当時の徳之島ではクロウサギがイノシシとともに身近な哺乳類であり、大切な食料となっていたのだ。

 「産後の滋養強壮に効果がある」といった言い伝えが残るなど、かつてクロウサギは食用(ウサギ汁)とされたが、その歴史は約4000年前まで遡ることになる。先史時代の遺跡では面縄第2以外にも犬田布遺跡、ヨヲキ洞穴遺跡(いずれも伊仙町)、さらに奄美大島の小湊フワガネク遺跡(奄美市)でクロウサギの骨の出土が報告されている。はるか昔から徳之島、奄美大島で食料の対象となっていたのに絶滅せずに生き延びる。これは何を意味するのだろうか。

 鹿児島大学国際島嶼教育研究センターの高宮広土教授が、著書『奇跡の島々の先史学 琉球列島先史・原始時代の島嶼文明』で触れている。「繁殖能力もイノシシほどではなく、これほど古いころから食料の対象となっているにもかかわらず、今日まで生存し続けているということは、他の島の事例を参考にすると、驚嘆に値する調査結果」。高宮教授は「奇跡的」と表現するが、この奇跡が生まれたのは人と自然のバランスのとれた関係が根底にあったのではないか。

 私たちの祖先は、クロウサギの例でも分かるように野生の動物と植物(堅果類のシイノミなど)を食料源とした狩猟採集民だった。その狩猟採集の歴史は高宮教授らの研究で「6500年前から1000年前と約5千年間もの長期にわたって続いた」ことがわかっている。島という限られた環境の中でも自然を悪化させなかったから、こうした暮らしの安定性・持続性に結びついたようだ。自然の恵みによってもたらされた資源(動物・植物)を「みんなのもの」と意識することで、枯渇を招くような一方的な取り過ぎをせず、みんなで分け合って生活(分配・平等社会)してきたから可能になったのではないか。自然と共に、自然と調和した暮らし。祖先が長期にわたり刻んできたこの歴史をあらためて見直し継承したい。

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 「かつてヤジ(リュウキュウアユ)は、川に行けばいくらでもとれた。昭和の始めごろ、素手でつかめるほど大きなヤジがたくさんおり、それを背負っていたテル(竹製の籠)に入れていたという話を母親から聞いたことがある。ウナギやタナガ(テナガエビ)もたくさんとれた。川の中のすみかが守られていたのだろう」

 奄美市住用町の黒潮の森マングローブパーク内にあるグラウンドゴルフ場で、友人らとともにプレイを楽しんでいた同町山間の肥後末雄さん(75)は懐かしそうに振り返った。このリュウキュウアユについて、同パークを管理運営する㈱マングローブ公社支配人で認定エコツアーガイドでもある寿浩義さん(64)も親しみをにじませた。「住用ではリュウキュウアユとは言わない。ヤジと呼んできた。現在は捕獲禁止だが、住用の人にとって川の恵みとして味わってきた食文化だった。子どもの頃、浅瀬でヤジを見つけるとばしゃばしゃと泳いだ。そうするとヤジは驚き、川底の石の下に潜ることから、手づかみで捕獲できた」「たくさんいたヤジが急激に減少し絶滅危惧種になってしまったのは、生息環境に深刻な影響を与えた開発だけの問題ではない。ヤジを売って利益を得ようと商売にする動きがあったため。大切な食文化として感謝しながら守っていくという気持ちがあれば、取り過ぎ・乱獲を招かなかった」。天然のヤジを味わう楽しみは思い出として残るだけとなった。

 豊かな自然によってもたらされる貴重な資源。祖先の暮らしを継承せずに、自らの利益を優先してしまうとどうなるだろう。暮らしから失われてしまうことをヤジが物語っている。

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 町全体の94%とほとんどを山林が占める奄美市住用町。アマミノクロウサギなど希少種が生息する森のほか、住用川や役勝川、川内川と水量を誇る島内では比較的大きな河川、さらに国内で2番目の規模のマングローブ原生林がある。緑と水に囲まれた自然豊かな町には、奄美大島の拠点施設として「世界遺産センター」(仮称)の整備計画もある。世界自然遺産登録が目前に迫る中、暮らしの在り方を住用から見つめてみた。