宇検村の出来事を紙芝居に

元山宇検村長(左)らに2組の紙芝居を贈呈した対馬丸記念館の髙良理事長(中央)


「対馬丸陳述書」のノートを手に髙良理事長と懇談する大島さん

「戦争のむごさと平和の尊さが伝わりやすい」
対馬丸記念会から贈呈「沖縄と奄美の交流深めて」

 沖縄県那覇市の(公財)対馬丸記念会・対馬丸記念館(髙良=たから=政勝理事長)の髙良理事長ら5人が12日、宇検村役場を訪れ、同館で昨年からとりかかっていた平和教育教材の紙芝居「対馬丸への祈り~宇検村 対馬丸いれいひをたずねて~」と「2つのランドセル 海にしずんだ対馬丸」の2組を元山公知村長に贈呈した。

 同館では、2019年に小学校と平和関連の施設にアンケートを行った。平和学習の補助教材について、「講和だけでは、低学年の子どもたちに、魚雷や疎開などの言葉が難しい。紙芝居がわかりやすい」との結果を受け、昨年から文を池宮康子さん、絵を磯崎主佳=ちか=さんに依頼、21年8月に2組の紙芝居各5部が完成したことから、そのうちの1セットが今回、宇検村に手渡された。一般の紙芝居よりサイズが大きく、同館の外間功一学芸員は「大きい方が特別感があってインパクトがある。子どもたちも集中して聞く」と話す。

 応接室で紙芝居を読み聞かせてもらった元山村長は、「子どもたちに伝わりやすい。サイコーです。改めて感動した。紙芝居はより悲劇的で戦争をしてはいけないと、子どもたちに広がっていくといい。ありがたいです。わかりやすい教材を活用させてもらいます」と謝辞を述べ、「同じように遺体が漂着した瀬戸内町や大和村と一緒に交流していきたい」と語った。

 この後、同記念館の一行は、対馬丸の沈没後に漂着した子どもたちを助けたり、墓を作ったり、遺品を整理したり、「対馬丸慰霊之碑」の建立に携わり、唯一の語り部となっていて、紙芝居にも登場する宇検の大島安徳さん(94)を訪ね、大島さんから語り部の様子を聞いた。「肉の海、度の高い焼酎をあおって、感覚を麻痺させて救助活動や遺体の整理をした。神のおぼしめしと思って、戦争のむごさと平和の尊さを語り継いでいる」と語り、「対馬丸 受難のみ魂ら とこしえに 祭りつたえむ 船越の浜」と吟じた。

 また、一行は「対馬丸慰霊之碑」が建立されている船越海岸を訪れ、説明文を読み、現場となった海岸に向かった。吹く強い風にあおられながらも当時の思いに心を寄せていた。髙良理事長は「沖縄では、対馬丸関係者しか知っていることで、県人には知られていない。奄美の人々に沖縄の子どもたちが助けられ、かつての翁長知事らも訪れ手を合わせている。それは未来永劫続けて欲しい。慰霊碑を中心に沖縄と奄美の交流を深めて欲しい」と今後の交流に期待を込めた。

対馬丸事件 

 1944年8月22日、沖縄の那覇から長崎へ向かう学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県のトカラ列島悪石島=あくせきじま=付近で、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。

 乗船していた約1800人のうち、約1500人が亡くなった。同記念館の資料には、救助された生存者が憲兵から「口外するな」と言われた証言が多数残る。