日本復帰から68年

泉芳朗の胸像に献花、日本復帰を果たした先人を偲ぶ参加者ら(25日、おがみ山公園復帰記念広場)

泉芳朗胸像に献花、偉業偲ぶ
おがみ山で市民のつどい

 奄美群島の日本復帰(1953年)から68年となる25日、奄美市名瀬のおがみ山公園復帰記念広場で「日本復帰市民のつどい」が開かれた。市民ら約40人が参加、復帰運動の中心となった泉芳朗の胸像に献花。記念碑の前で、「日本復帰の歌」を斉唱。断食や署名活動など非暴力による運動で復帰を成し遂げた先人の苦難に思いをはせ、その偉業を偲んだ。

 同つどいは、復帰運動の伝承活動に取り組む「奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「泉芳朗先生を偲ぶ会」「奄美郷土研究会」などの市民団体でつくる実行委が主催。参加者は早朝から急しゅんな山道を歩いて登り、山頂付近にある広場を目指した。

 広場には記念碑のほか泉芳朗の胸像や復帰運動の象徴でもある断食悲願の歌碑がある。参加者らは日本復帰の歌を斉唱後、胸像に献花。泉が作詞した断食悲願の朗読や日本復帰を記念してつくられた「朝はあけたり」を斉唱した。集会には安田壮平市長も参加し、胸像に献花した。

 復帰当時、名瀬小6年生だった島岡稔さん(80)(神奈川県在住)は、「5、6年生の時に名瀬小であった復帰運動に何度も参加したことを覚えている。泉先生と一緒に断食に参加しようと、昼ご飯を抜いたこともあった。懐かしさとともに、当時、命を懸けて運動をした先人のおかげで、復帰できたことに感謝したい」と話し、同市名瀬矢之脇町の才田一男さん(83)は「軍政下では食べ物や着るものも満足になく、いつもひもしい思いをしたが、復帰運動に参加できたことで、貧乏でつらかったことも楽しく、誇りに思えるようになった」と当時を懐かしみながら、先人たちが非暴力で勝ち取った日本復帰に思いをはせた。

 奄美群島は、終戦後の1946年(昭和21年)2月2日から1953年(昭和28年)12月25日までの約8年間、日本から行政分離され、米国の統治が行われた。本土への渡航は厳しく制限され、食料・物資不足で人々の生活は困窮。勉強するための教科書すらないという事態に陥った。苦しい時代に日本復帰を願った群島民は「復帰運動の父」泉芳朗を中心に、熱烈な市民運動を展開、祖国復帰を成し遂げた。