関西シマッチュ便り コロナとの闘い振り返る

ライブ開催日はほぼ満員のにぎわいを見せる「てぃだ」。この日もハト(指笛)や手拍子が鳴り響いた


厨房に立つ満さん。厨房にも立つが、ホールに繰り出すことも


ドイツ料理「アイスバイン」(中央)とこだわりの奄美料理

活気戻る大阪の繁華街

 2020年から続く〝コロナ禍〟。大都市圏では自治体により度重なる緊急事態宣言が発出され、そのたびに行動制限が言い渡された。各業界にさまざまな影響を与え、「ニューノーマル」の生活様式に移り変わることを強いられた。中でも飲食業界はもっとも苦境に立たされたと言って良い業界だろう。営業自粛と時短営業の繰り返し。酒類の提供自粛なども経営にのしかかった。

 奄美出身者が営む居酒屋などもある大阪でも長期にわたる緊急事態宣言、「まん延防止措置(まん防)」が繰り返し発出された。全国屈指の繁華街でもある大阪市内もどこか暗く感じられる日常が続いた。

 昨年10月の緊急事態宣言の解除以降は徐々に活気を取り戻しつつある。中でも指折りの繁華街と呼ばれるキタとミナミに出店する奄美料理店を切り盛りする2人の奄美群島出身者にコロナとの奮闘を振り返ってもらった。(西田元気)

 

満 吉範さん(65)奄美島料理・ドイツ料理「てぃだ」(大阪市北区)
 
元ホテルシェフが振るう島料理 「やればできるということ伝えたい」

 大阪市内随一の繁華街「キタ」。JR大阪駅、同市営地下鉄梅田駅を中心として隣接するJR天満駅、同福島駅まで繁華街が広がる。今回筆者が訪れた奄美・島料理・ドイツ料理「てぃだ」は同天満駅から徒歩5分ほどのところにある。昨年10月以降は下町情緒あふれる同駅付近でも、飲食店の呼び込みなどが多くみられ、活気が戻ってきた様子がうかがえた。

 同店店長の満吉範さん(65)は18歳の時に故郷・伊仙町阿三を離れ、料理の世界に飛び込んだ。大阪の洋食レストランで6年ほど腕を磨き、24歳の時に「海外を見てみたい」との思いを胸に、渡欧しドイツへ。ドイツに行った理由を聞くと、満さんは「本当はフランスに行きたかったけど、フランスはなかなか難しいから隣の国に行った」と笑みをこぼす。3年間異国の地で学び、帰国後は東京のフレンチレストランで勤務した。

 29歳の時、「ヒルトン大阪」(大阪市北区)のオープンを機に大阪に戻った。その後も「ウェスティンホテル大阪」(同区)、「リッツカールトン大阪」(同区)などの名だたる高級ホテルでシェフとして腕をふるってきた。

 2004年に「いつまでもホテルにいても…」という思いから同店をオープン。「シマ唄が好きだから、ライブを聴きながら食事を楽しめる店を」と、店づくりの際には防音にこだわった。今でも毎週末には奄美・沖縄の唄者やシンガーソングライターがライブで店を盛り上げる。

 ライブ開催時は店内が満員になるほどのにぎわいを見せ、常連客も多い。足しげく同店に通う徳之島2世の横瀬大地さん(41)は「居心地も良いし料理もおいしい。料理人気質のマスターの人柄もよく、ずっとあってほしい店」と教えてくれた。

 満さんの奄美・徳之島への思いは店内やメニューのいたるところに表れる。徳之島をかたどったテーブルが置かれるほか、店内の大型モニターには徳之島集落ごとの自然景観が映し出される。「うちは奄美しか謳ってない。沖縄は醸し出してないから、あまり沖縄の人は来ない」と満さん。実際メニューには鶏飯やテラダ(とびんにゃ)の塩ゆで、豚みそなどの奄美料理が並ぶが、沖縄料理は見当たらない。

 「シマの料理なら安い食材で食べてもらえる。フレンチは素材が高いから、値段も上げなければいけない」とも。島料理の食材は奄美大島・徳之島から調達するこだわりぶりだ。

 また島への思いは店の中だけにとどまらない。毎年常連客とチームを組み「トライアスロンIN徳之島」に参加するという。30~40人の大所帯で島を訪れ、競い合う。「参加することに意義がある」と言い、満さん自身も出場するそうだ。

 そんな同店にも新型コロナウイルスは大きな打撃を与えた。「誰も予想もしなかった事態」と、突如訪れた開店以降一番の危機を満さんは振り返る。緊急事態宣言中は休業。まん防時は土日のみの営業に切り替えた。

 アルバイト従業員も多く、「保険などに入ってなかったから、補償ができなかったのが心苦しかった」と満さん。「給付金の申請はしたけども、家賃もあるし、冷蔵庫などの電気代もかかるし厳しい。コロナ前と比べると売り上げは100分の1あるかないか。常連客がついているから、何とか持ちこたえようと思った」とも語った。

 コロナ禍以降、テイクアウト用のメニューとして「スパムおにぎり」の提供を開始。また、2週間に1回の頻度で、近隣店舗で「てぃだデー」を開催しているという。他店舗で奄美料理を提供し、味を覚えてもらうことで来店客の呼び込みにつなげる考えだ。

 昨年10月に緊急事態宣言は解除されたが、「完全には元に戻ってない。(午後)9時10時になるとお客さんは帰る。生活が変わってしまって遅い時間にはお客さんは来ない」(満さん)。同年11月下旬時点でも団体による忘年会の予約などは少ないという。

 また、ライブ開催時にステージと客席の間に透明なシートで隔たりを作るなどの感染対策も行う。満さんは「密着するほうがライブは面白い。みんなでワイワイしたい。早く前のように戻ってほしい」と話した。

 「島の人も本土に出てきて頑張ったら、やればできるということを伝えたい」(満さん)。レストラン勤務時代には料理人の厳しい世界にもまれたが、「嫌だと思っても帰るわけにはいかない」と自身を奮い立たせてきた。コロナ禍に負けず、昨年10月には徳之島町山にピザなどを提供する2号店をオープン。2号店は妻・美由樹さん(58)が切り盛りする。「今後は徳之島にホテルやグランピング施設を作ることも考えたい」と満さんは前向きな思いに目を輝かせた。

 

 

島大切にする思い変わらず


週末恒例のライブで盛り上がる「おぼらだれん」


笑顔でホールに繰り出す亀山さん


亀山さんイチオシの「徳之島風巻きずし」(右手前)、沖縄料理「ヒラヤーチー」(右奥)などが楽しめる「おぼらだれん」

亀山 幸男さん(60)島空間「おぼらだれん」
 
「何度も足を運んでもらえるように」
奄美・徳之島の要素強める 「シマの色感じてもらいたい」

 大阪市営地下鉄・JR・その他私鉄の「難波駅」を中心に広がる「ミナミ」。大阪観光のシンボル的存在「道頓堀」があるこの一帯も大阪を代表する繁華街だ。緊急事態宣言の発出時などは、連日テレビニュースでこのエリアの様子が映された。

 緊急事態宣言解除後、人の流れが戻り、昼夜問わずにぎわいを見せるミナミの一角にあるテナントビルの2階に伊仙町崎原出身の亀山幸男さん(60)が構える島空間「おぼらだれん」はある。今年で10周年を迎える同店は奄美料理と沖縄料理が楽しめ、週末ごとに奄美・沖縄出身のアーティストたちによるライブを開き、にぎわいを見せる。

 亀山さんは中学卒業後、大阪で理容師として修業。カラオケが好きで「いつかは歌の歌える店を」との思いで、35歳の時に理髪店を営みながら同市内にカラオケスナックをオープンした。妻・ヒロミさんとともに理髪店とカラオケスナックの二足のわらじを履く生活を送った。「毎日、4~5時間しか寝ない生活を5年ぐらい続けた。好きなことだから疲れを感じなかった」と亀山さんは当時を振り返る。

 また親戚からカラオケ居酒屋を引き継ぎ、経営。そのカラオケ居酒屋が自治体による立ち退きを求められたのと同時期に、兄・陽一さん(68)から同店の前身である「島唄ライブ若力」の経営を打診され引き受けた。

 経営不振だった「若力」を再建するべく、亀山さんは沖縄一色だった店内の〝沖縄カラー〟を薄め、店名も現在の「おぼらだれん」に変更。奄美・徳之島の要素を強めることを決意した。「自分たちは沖縄県民ではない。自分たちのシマの色を感じてもらいたかった」と亀山さんは語る。また、「一度だけ来るより、何度も足を運んでもらえるように」と料金の値下げなどにも踏み切った。

 料理へのこだわりについて亀山さんは「奄美の料理はみそを使う。メニューに載っているものを沖縄料理だと思っている人も多いが、ちゃんと奄美の料理だということを知ってもらうようにこだわっている」と話す。「ソーメンチャンプルー」と「油ゾーメン」、「スーチカ(三枚肉)」と「ワンフニ(スペアリブ)」、泡盛と黒糖焼酎など、沖縄料理と奄美料理を対比するように提供しているのも同店の特徴だ。

 シマ唄などのライブも精力的に行っており、コロナ禍前までは毎日実施。月に一度同店でライブを実施するという大阪市都島区の涼(本名・有本聡)さんは「この店の雰囲気が好きでライブしている。穏やかで優しく、時に厳しいマスターだが、その厳しさがミュージシャンを育てる。毎回手抜きできないから緊張するが、勉強をさせてもらえる場所」と同店の魅力を話す。

 しかし、コロナ禍はライブにも大きく影響した。沖縄から遠征してくるアーティストらもなかなか大阪を訪れられず、予約とキャンセルの繰り返しの状態に。週末のみの開催に切り替えを余儀なくされた。

 また、20年3月から21年9月までは週末のランチ営業を実施した。「常連さんが食べに来てくれたり、家族の分をテイクアウトしてくれたり協力してくれた。(店が)いつつぶれてもおかしくない状態でもあったから励まされた」と亀山さん。「この1~2年は地獄だった。これから先どうやって行くかばかり考え、眠れない日々が続いた。始まって2~3か月で終わると思っていたのに」とも。

 ランチ営業時、アルバイト従業員から「お金はいらないから働かせてもらえないか」との申し出もあったという。亀山さんは「満足のいく給料はあげられなかったが、3食つけて協力してもらった。今もその子たちにはその時の給与を払っている。その子たちの思いがわかったから、そのままにはできない」と語る。コロナ禍によりアルバイト従業員も退職する人が多く、現在もアルバイト募集中という。

 今年で10周年を迎える「おぼらだれん」。亀山さんは「周年祭などを行い、今後も一生懸命羽ばたいていきたい。今まで通り、ちゃんとお客さんに喜んでもらえるような店づくりに励んでいきたい」と意気込む。

 また、亀山さんも「てぃだ」の満さんと同様、「チームおぼらだれん」として常連客らと「トライアスロンIN徳之島」に毎回出場。「今年は何チーム連れていくことができるか楽しみ」と笑顔を見せた。

   ◇  ◇   

 せっかくなので、徳之島から遠く離れて暮らす二人に昨年7月に同島が世界自然遺産に登録されたことについての意見も聞いてみた。「徳之島は山も海もある自然豊かで良いところ。登録は良いことだとは思うが、徳之島にはホテルも少ないからあまり観光客が来るのも考えもの」(満さん)。「うれしいことだとは思うが、島が汚れてほしくはない。知名度が上がることによって本土にいる出身者が帰りやすいように航空代金が安くなればいいが」(亀山さん)。

 2人とも故郷を離れ40年以上が経過するが、島を大切にする思いは変わらない。だからこそ自然遺産登録に対して、喜ぶ一方で懸念についても考え、語ってくれたように筆者は感じた。

 今回の取材は2人に対してだけだったが、関西には多くの奄美出身者が住む。それぞれがそれぞれの故郷への思いを持っているはずだ。筆者は奄美群島出身ではないが、奄美に住んでいた経験のある者として遠く離れた関西の地から奄美を応援したい。本紙関西通信員の肩書を持ってからの取材経験は浅いが、今後も今回話を聞いた2人のように島を大切にする気持ちを第一に、多くの出身者の話を聞きたいという思いが今回の取材を通して強まった。

 【店舗情報】▽奄美・島料理・ドイツ料理「てぃだ」(大阪府大阪市北区天神橋5丁目5―23川合ビル2F、電話06―6881―3639)▽島空間「おぼらだれん」(大阪府大阪市中央区道頓堀2―4―7、電話06―6484―0805)