歴史の伝承未来へ 上

運動を正しく伝承していくためにも、復帰語り部世代の継承・育成の必要性を強調する花井恒三さん

語り部世代、次の育成

 「運動の現代的意義を伝える語り部世代が若返る。これが奄美群島日本復帰70周年の大きな節目を迎える今年の特徴ではないか」

 こう語るのは奄美の歴史や文化などを学ぶ奄美市生涯学習講座を主宰し、奄美群島の日本復帰運動を伝承する会(西平功会長)の活動にも取り組む花井恒三さん(75)=奄美市名瀬在住=。

 語り部について花井さんは第1期世代(現役世代)と第2期世代に分ける。1期世代は年齢で言えば90~100歳。復帰運動のリーダーだった泉芳朗氏や中村安太郎氏、村山家國氏、群島政府知事など務めた中江実孝氏などを知る人々だ。

 「リーダーらの側近だった楠田豊春さん、運動を体系的に話せた崎田実芳さん、久保和二さん、大津幸夫さん、伝承活動に熱心だった松夫佐江さんや治井文茂さん、岡登美江さんら現役世代が次々に亡くなっている。10年前の60周年の節目まで当時を知る現役世代が語り部だった。これからは復帰当時小、中、高校生とまだ子どもだった我々2期世代が中心となって伝承していかなければならない」

 花井さんが所属する団体も復帰55周年の時に1期世代から2期世代へと引き継がれたという。当初名称は「泉芳朗先生を偲ぶ会」だったが、現在は同伝承する会へ。活動を引き継ぐようになっても1期世代に会の顧問をお願いするなど運動を詳細に記憶している世代から「教えを乞う」姿勢を持ち続けた。この団体で花井さんは事務局長を務めたが、心掛けたことがあるという。「2期世代では復帰の年(1953(昭和28)年)に生まれた、いわゆる〝復帰っ子〟を前面に押し出した。復帰55周年以降は節目ごとに、象徴である復帰っ子が会の顔となって活動を進めてきた」。

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 今年の70周年も民間団体である伝承する会の活動は2期世代が中心となる。だが、これから30年後の100周年に向けてのそれぞれの節目(80周年、90周年)を考えると不安があるという。

 「2期世代も70~80代と年齢が高い。10年後、20年後、そして100周年のことを考えると2期世代で伝承していくことは困難。奄美の将来に向けて運動を次なる世代に継承しなければならない」

 今年の70周年は100周年に向けて動く過渡期と捉えている花井さん。奄美でも開催される、かごしま国体を始めさまざまな行事などで「復帰70」の冠がつく2023年は1年を通して関心が高まることから、次の世代に引き継ぐチャンスとなる。

 「私が主宰する講座も参加するのは年配者中心。若い人の参加が少ない。100周年以降は主役となる今の子どもたちにつなぐためにも、その親の世代である40~50代への引き継ぎを今年進めていきたい」。花井さんは強調する。

 具体的には伝承する会として各団体青年部組織との交流などに乗り出す考えだ。「伝承の第3期世代をどうするか。これが悩み。70歳となる復帰っ子を中心に各団体の青年部との接点を探り、3期世代の育成を目指す必要がある」。40~50代、年代的には社会人としての中核だ。70~80代の語り部世代が復帰運動の現代的意義をこの年代に引き継ぎ、3期世代としてバトンを渡すことができるか。対象とする青年部の中で、「誰をリーダーにするか。柱となる人材を掘り起こし伝承の後継者として期待、託していくか」という視点が鍵を握りそうだ。

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 米軍政下からの日本復帰という歴史的特性に対し、法に基づいた特別措置(奄美群島振興開発特別措置法)として国が進めるのが奄振事業だ。法は23年度末(24年3月末)に期限を迎える。県や地元市町村は法延長に向けた取り組みを強化しているが、この奄振で復帰に関連した二つの事業(いずれも延長奄振の交付金を活用したソフト事業で)の実現を花井さんは提唱する。

 奄美デジタル(オンライン)復帰記念館整備と全国奄美バーチャル(デジタル・オンライン)連合。「復帰運動の歴史などを伝える記念館整備は、これまで何度も要望があがったが、資料の集積や予算、場所の問題などから実現しなかった。デジタル化なら実現は容易だ。もう一つのバーチャル連合は、復帰運動の再現・現代版とも言える地元と東京を中心とした島外出身者の連合体。復帰運動では特に東京在住の出身者(東京奄美会など)が地元の実情を訴え、政治を動かした。これにならった出身者と地元の連携、人の移動を伴うのではなくバーチャル(仮想的)だと実現可能」。

 バーチャル連合が目指す方向は観光を主とした産業経済、教育文化のマーケティングだ。奄美を題材にした大学生のゼミ研究など出身者が入手した情報を地元に投げ掛け、対応は市町村を主とした地元が担う。花井さんが参考例として挙げるのが移住サイトを開設している㈱ねりやかなやの取り組み。同社はネットを利用した情報提供サービス・情報処理サービス業務などを進めている。

 「『こんな移住希望者がいます』というように出身者が地元に情報を提供する。これに対し、市町村では人口増につながる移住者の受け入れに向けて『うちでは、こんなプログラム(事前の体験活動など)を組むから来ていただきたい』と対応する。それぞれをネットでつなぐ仕組みであるマーケティングを、移住サイトをヒントにデジタル技術を活用し経済版、文化・教育版などとして展開していく。出身者と地元が連合体となれば、もたらされる情報とその活用は無限となる」

 復帰運動の記録や伝承は当時を知ることから始まる。それによって得た事実を歴史として刻むだけでなく、花井さんの提唱のようにこれからの奄美の地域づくりに生かす。活用できる材料は、復帰までの私たちの先人の暮らしから見ることができる。

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 1945(昭和20)年8月15日の敗戦後、翌年の「二・二宣言」(連合国覚書宣言)により北緯30度以南の南西諸島(十島村、奄美群島、沖縄諸島)は行政分離され、米軍政府の統治下におかれた。52(同27)年には対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効、連合国による日本国の占領統治が終了し、日本国の主権が回復したものの、北緯29度以南の南西諸島(奄美・沖縄)は米軍政府の施政権下に。高まった復帰の思いは群島が一つになっての復帰運動となり燎原の火のように広がった。翌年には急転直下、当時のダレス国務長官が韓国訪問の帰途に日本に立ち寄り、奄美群島を日本に返還する声明を発表(8月8日の「ダレス声明」)。4カ月後、まるでクリスマスプレゼントのように12月25日、奄美群島の日本復帰が実現した。今年の復帰70周年。歴史から何を学べるだろうか。