「崎原千本桜」生みの親

ヒカンザクラ開花期のピークを過ぎても花見客でにぎわう「桜通り」


「崎原千本桜」の生みの親である米田秀次さん。多量の苗を育て植樹を繰り返してきた

苗づくりから始め集落周辺植樹
花見客でにぎわう 米田さん願いかない笑顔

 奄美市名瀬の崎原(さきばる)集落は、山の高台にあり世帯数が50世帯(今月2日現在)と小さな集落だ。過疎化が著しい中、世帯数が少なくなってもにぎわうようにしたいと「集落を守る方法」として周辺にヒカンザクラを植えたのが米田秀次(ひでじ)さん(91)。市道を挟むように両面に植樹された通りは「崎原千本桜」として知られるようになり、開花期は連日、大勢の花見客でにぎわう。生みの親の米田さんの願いがかなった光景が刻まれている。

 米田さんが植樹に取り組んだのは20年以上前の2002年。バラ科のヒカンザクラは開花後、熟すると赤くなる楕円形の果実をつけるが、米田さんはその実から苗を育てた。最初は育苗用のポットに入れ、30㌢程度の高さに育つと畑に移し植栽。堆肥などを投入し育て、約1㍍の高さまで育ったものを植樹した。

 1年目は100本、2年目300本、3年目400本とまとめて植樹。自宅近くにある畑だけでなく、集落の他の人の畑も借りて多量の苗を育てた。町内会が看板を立てて「桜通り」と名付けた集落入り口の並木のほか、太平洋が見渡せる展望所、集落内にある公園などにも植樹した。苗づくりから始めての植樹だけでなく鎌を使っての草刈りといった管理作業も秀次さんはこなした。3年ほど前、作業中に体調を崩したこともあり、現在は集落の人々などが協力して担っている。

 「花を植えると元気になる。花から励まされ、応援されているよう。きついとは思わない。体が続く限り、いくらでも植えたいと思った」と秀次さんは振り返る。「花を見ると心が和むだけに、花が咲く頃になると花見客が訪れ、人の出入りで集落が活気づくのではないか」との願いを込めながら重ねてきた作業。秀次さんの気持ちが乗り移ったかのようにヒカンザクラの花は咲き誇り、並木が両面に広がるため圧巻の風景となっている。

 今年も1月下旬の開花期から土日は連日、名瀬市街地などから車で訪れてた家族連れなど花見客でにぎわっている。市街地に近いという地の利の良さも好まれている。日曜だった12日も来訪があり、まだ満開を保っている木が多いことからスマートフォンなどで撮影する姿が見られた。