ロバート・D・エルドリッヂ氏講演

奄美群島復帰のきっかけは島民の声だと語るロバート・D・エルドリッヂ氏

「復帰運動が日米政府動かした」
多角的な視点から説く

 奄美郷土研究会(森紘道代表世話人)主催の奄美群島日本復帰70周年記念講演「奄美復帰から未来を語る」が17日、奄美川商ホール(奄美文化センター)2階研修室であった。復帰50周年に合わせ、2003年に発行された「奄美返還と日米関係」の著者で政治学博士のロバート・D・エルドリッヂ氏(55)が、アメリカ政府・国務省・軍、日本政府・県など多角的な視点から、奄美群島の復帰運動が果たした役割を説いた。同氏は、50周年の式典でも講演しており、日米双方の資料調査に加え、米軍関係者や奄美群島の戦争経験者への聞き取り調査に基づく講演への関心は高く、60人以上が会場を埋めた。

 同氏は米国生まれで、日本の永住権を持ち現在は兵庫県在住。日本外交史や日米関係論などが専門。前職は米国海兵隊太平洋基地政務外交部次長。日米の防衛協力や沖縄・奄美の返還過程の比較研究も行っている。

 神戸大学の学生だった1995年に起きた沖縄米兵少女暴行事件、翌年の日米地位協定見直し・基地縮小の問題が浮き彫りになったことに衝撃を受け、沖縄大学客員教授時代に、51年の講和条約以降、南西諸島を含む島がいかに処分されたかの調査を始めた。

 99年夏から4年をかけて奄美各地で聴き取り調査を行い、残されていた回顧録や資料を読み解いたという。アメリカ公文書館にも通い、国務省の公開資料も閲覧した。軍関係者への聞き取りも行って発行にこぎつけたという。

 エルドリッヂ氏は、「戦後復興にまい進していた日本本土でも、アメリカでも奄美は忘れられていた。21万8千人の主張が日米を動かした。日本政府が対米交渉の裏付けとしたのが復帰運動」と話した。復帰の父と呼ばれる泉芳朗や昇曙夢(しょむ)については「決してカリスマではなく人格者だった」と分析した。

 第1次大戦後の大西洋憲章で「領土不拡大」が謳(うた)われたことが、日本を領土とせず、戦後の日米間に友好関係を作るという決断を(当時の米大統領)アイゼンハワーが下したと語り、軍出身者だが為政者だと認識を示した。

 返還についての日米交渉では、吉田茂首相との間で「防衛責任はどこが背負うのか」など慎重な意見交換があり、「米軍が再び奄美を必要とする事態(有事)には、日本が好意的に対応するとの約束があった」と、密約の存在をにおわす発言もあった。

 エルドリッヂ氏は「次の世代が研究を進めるため(著書には)出典や注釈を詳しく載せた」と説明。また、「奄美には高等教育機関が必要。リモートを活用し、奄美でしか学べない講義ができる。未来の人材を輩出し、根付いてもらうために大学を作るべき。復帰の際の熱意があれば何でもできる」と語り掛けた。