「復帰の歌」歌碑建立

「復帰の歌」の歌碑を除幕した関係者ら(沖永良部高校)


「復帰の歌」を合唱する沖高生ら(沖永良部高校)

沖高で記念式典
70年前の情熱を次世代へ 二島分離返還反対運動を展開

 【沖永良部】「何で帰さぬ永良部と与論」――。日本復帰への思いを込めた「復帰の歌」の歌碑が、沖永良部高校に建立された。19日、日本復帰70周年記念「復帰の歌」歌碑建立記念式典が同校で開催され、沖永良部島の復帰運動において中心的役割を担った当時の高校生たちに思いをはせながら、運動の意義について考えた。

 奄美群島全域で日本復帰運動を展開していた1952年、復帰は徳之島以北とする「沖永良部島・与論島二島分離返還」説が報道される。これをきっかけに、沖高の教職員と生徒会が中心となって二島分離返還反対運動を展開。運動を盛り上げようと、当時の沖高で国語を担当していた佐伯植美教諭の作詞、音楽担当の柴喜与博教諭の作曲により「復帰の歌」ができた。

 歌碑は、両町が費用を負担し、同校の中庭に建立された。歌碑裏面には、復帰運動の歴史と「復帰の歌」に込められた思いを刻んだ。除幕式では、作曲した故・柴さんの長女、柏木みどりさん(75)と次女の上野京子さん(70)も来島し、関係者とともに除幕した。

 同校体育館であった式典には、全校生徒と同校OBら約300人が参加。歌碑建立実行委員会の名間武忠会長は「我々の先輩が全身全霊をかけた復帰運動と、島民の心を支えた『復帰の歌』の歴史を次世代に語り継いでほしい」とあいさつした。

 続いて同校普通科第4回卒で、高校生として復帰運動に参加した知名町の田中和夫さん(92)と和泊町の竿田富夫さん(88)の2人が講演。田中さんは「悲壮な思いを、悲しい思いを、屈辱の思いを全島に訴え、世界に広げていこうという思いで運動を始めた」と述べ、「復帰した時の感動や苦労、屈辱感、それに耐えた島民、高校生の在り方などについてもう一度考え直してほしい」と話した。竿田さんは「復帰の歌は、私たちに勇気と情熱を与えてくれた。高校生が立ち上がり、地域の人が後押ししてくれた。沖永良部の復帰運動は、復帰の歌そのもの。歌碑を見て何かを感じてほしい」と呼び掛けた。

 最後に参加者全員で「復帰の歌」を合唱した。

 柏木さんは「私たちも年月が経ってからこの歌のことを知った。父が生きていたらどんなに喜んだか。学生が行き交う素晴らしい場所に歌碑を建ててくれて本当にうれしい」と語った。

 生徒会長の今井ひなたさん(2年・17)は「もし、自分が当時の高校生だったら、怖くて行動できない。いまの自分に足りないのは、何かに立ち向かおうとする強い気持ちだと感じた。復帰運動を知る貴重な機会だった」と話した。