ソテツに支えられた時代を語る泉和子さん(17日=奄美博物館)
企画展で展示されているソテツの実を切るソテツ包丁
奄美博物館主催の奄美群島復帰70周年記念企画講演会「戦時・戦後のソテツ食について~ソテツ食の背景と実践~」が17日、同館3階研修室であった。同市文化財保護審議会会長で郷土料理研究家の泉和子さん(72)が、戦時中・終戦時・戦後の奄美においてソテツが果たした役割を講話。かつて行われていた植栽事業について、「どんな時代を迎えるか分からない」と憂いた。外来カイガラムシ被害の現状を報じた奄美新聞を示し、処理方法なども話した。
泉さんは、ソテツは裸子植物で雌雄株があり、雌株になる実が赤くなると説明。奄美群島ではサツマイモが主食だったが、飢饉になるとアクを抜いてソテツを食べたことから「救荒植物(または救荒食)」と位置付けられたと話した。
戦時中は食べ物がほぼない状態、終戦時はソテツの毒(サイカシン)で犠牲者が出た「ソテツ地獄」(経済恐慌)、戦後はあく抜きしたナリ(実)を粉にし利用したと、時代の変遷を語った。畑の土留めとして使われた歴史も説明した。
2016年に行った龍郷町シマ遺産調査で「(ソテツの幹の芯をかゆにした)シンガイはまずかった。終戦後は食べるのに必死で祝い事もしなかった」ととの証言もあったと話した。
泉さんによると、漢字で「蘇鉄」と書かれるように、栄養分析でも鉄分が多いことが分かったという。ナリみそや、ナリ粉を混ぜたお菓子など、鉄欠乏性貧血の多い女性や妊婦には最適だと、料理に取り入れることも勧めた。
福島智子さん(70)は「戦中戦後食として興味はあったが、子どもの頃、母から毒の話を聞き怖くて食べたことがない」と話し、初めて食べる試食会を楽しみにしていた。「外来カイガラムシの問題が解決し植栽できるようになれば」と話す40代の男性もいた。
講演後は、同館外でナリガイ100食分の試食会もあった。同市名瀬に本社がある㈱ヤマアのつぶみそと合わせて口にした参加者は、「普通のおかゆよりおいしい」と満足そうに味わっていた。