コロナ禍・奄美のために出来ること=⑥=

恒例の物産フェア「徳之島春一番」の舞台でチヂンを担当する、里村さん(円内は、思いをはせたという犬の門蓋)

故郷徳之島をはじめ沖永良部島、与論島の電話自動化に貢献
島の恵みを近所に。終息したら、生でアマミノクロウサギに遭遇したい

 奄美への思いと、登場人物を紹介しながら次の人にバトンをつなぐ「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は戦う!」の第6回。渡連出身で元東京瀬戸内会会長・山下良光さんから紹介された関東天城町会会長・里村哲正さんが登場する。
     (東京支局・高田賢一)

 山下さんと豊年祭へ参加し、改めて思う故郷の風景。
 「一緒に同行させていただき、素晴らしい体験をしました。ですが、わが故郷徳之島も負けてはいません。平土野港と港に続く珊瑚礁の海岸『キジ』と犬の門蓋をよく思い出します。子供の頃は一日中泳いで、ニバイなど魚釣りやアナグ(とこぶし)やチンカ(さざえ)などを取って遊んでいました。ウニはたくさんいましたが、食べたことはありませんでした。本土に来てから食べられると分かり、少しショックでしたね」

 昭和47年に上京。島出身の社長の下、故郷の電話自動化に奮闘。のびのびとした社会人生活を送る。

 「通信関係に従事したく、与論島出身の佐藤持久氏が社長を務める三陽電設株式会社に高校の同級生と入社。当時は、まだ電話の自動化が全国普及しておらず非常に忙しかった。会社のおかげで、徳之島をはじめ、沖永良部島、与論島の電話自動化工事を自分たちの手で行う貢献ができました。島に仕事で行った者で、島の人と夫婦になったのが2組生まれたのも、心に残っております」

 積極的にシマ会への参加をするも、コロナ禍でたまるストレス。

 「自粛期間は家の草むしりや庭いじり。3か月ほどシマの皆さまとも会えず、ストレスがたまっていますね。今はネット社会で情報は瞬時に伝わりますので奄美大島、沖永良部島で感染者が出たと聞いたときは心配しましたが、拡散がなく安心しています。一刻も早く終息して観光客や帰省が前にも増して、奄美を知って感じて楽しんでもらいたい。島からの農産物を近所に配るのは、ずっと続けていきたい。島の恵みを、みんなとても喜んでくれるんですよ」

 世界自然遺産登録、アマミノクロウサギとの遭遇を希望。

 「外来種の動植物の伐採駆除、野猫、野良犬の捕獲など登録に向けてさまざまな行動をしていることでしょう。自然環境を残してほしいとは思いますが、シマで生活されている多くの方は開発整備を望まれているとも伺っており、調整は難しいでしょう。こちらで何か手助けできないかと模索しております。実は、生でアマミノクロウサギを見たことがありません。帰省の際には何度も計画するのですが、夕方になるといつも飲み会になって車の運転手がいなくなり、いまだに見物が実現していないのです。故郷の風景の中で交わす旧友との再会、黒糖焼酎が止まらないのです(笑い)。次回こそ対面します」 

 「宿泊施設と、夜の遊興場所が少ない」と世界遺産登録への心配事を語る里村哲正さん。次回バトンを受けるのは、埼玉奄美会会長の藤井壮望さん。

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 里村哲正(さとむら・てつまさ)1953(昭和28)年12月1日天城町平土野生まれ。昭和46年鹿児島県立大島工業高校卒業後上京。新宿で「関東の四十九同窓会」をしている時に、偶然、隣で「渋谷おはら祭り」の徳之島連から声を掛けられ、シマ会に参加するように。関東天城町会会長。