奄美撮った・管さん写真展

洋志さんの作品を解説する眞理子さん=中央=

ニッコールクラブ管さん写真展2
故・管洋志さん

ニッコールクラブ支部と合同で開催

 奄美で撮影した写真を収めた写真集「奄美―シマに生きて」を刊行した写真家、故・管洋志さん(1945―2013)の撮影した写真が、ニッコールクラブ奄美群島支部(20人)会員が撮影した写真と共に1日から、奄美市笠利町の田中一村記念美術館で展示されている。1日は管さんの妻の眞理子さん(66)、息子でカメラマンの洋介さん(36)によるフロアトークがあり、同支部会員らが同支部の立ち上げに深い関わりのある故人を偲んだ。展示は今月21日まで(3、17日は休館)。

 洋志さんは福岡県生まれで、日大芸術学部写真学科卒。アジア各国で撮影をし、奄美での撮影も好んだ。07年には「奄美―シマに生きて」を刊行。同市美術展審査員を務めた縁で、09年の同支部立ち上げに関わった。

 死後の14年には、写真集「一瞬のアジア」が刊行されたが、アジア各国で撮影された写真が収められた中で、本人の意向もあり本の最後部分には奄美での撮影写真が掲載されている。展示には「一瞬のアジア」から厳選した61作品が並ぶ。奄美で撮影した写真では油井の豊年祭などがある。

 フロアトークでは、眞理子さんが「人間関係が濃密」、「自然が素晴らしい」などと洋志さんが奄美を気に入っていた理由を話し、「奄美には『日本』が残っていると口にしていた」と語った。眞理子さんと洋介さんは洋志さんの作品も解説、撮影場所と撮影にまつわるエピソードを紹介した。洋介さんは「アジアの北限を奄美と考えていた。人と人との関係性がアジアに近いものだった」と、洋志さんが奄美を好んでいた理由を説明した。

 同支部の森美佐子支部長(67)は「気さくで温かい人だった。写真への情熱は、はかりしれないものだった。遺作展を一緒にする力量はないが、これを機に頑張れと叱咤激励されている気持ち。私たちのこれからの励まし」と話した。

 眞理子さんは「亡くなって3年になるがそれぞれの人が多く関わっていて、すごくつながりが深かったのだなあと思う。人々の中に入り込んでいてうらやましい気持ちになった」と語った。