久慈集落で新たに確認されたろ過池と取水口
瀬戸内町久慈集落(武田政文区長)にある「旧佐世保海軍軍需部大島司庫 貯水庫」で10日、同町図書館・郷土館による埋蔵文化財分布調査が行われた。貯水庫につながるろ過池と取水口は今年度初めて確認されたもの。同町では「久慈集落の貯水庫は明治に作られたレンガ造りで、奄美大島に残る戦跡の中でも最も古いもの。観光など今後の活用も検討していきたい」としている。
同調査は2014年度から始まったもの。町立図書館・郷土館が調査を実施しており、町内の埋蔵文化財の位置や内容を把握し、遺跡分布地図を作成するほか、町内の近代遺産についても調査している。
同集落にある貯水庫は赤レンガ造りで、奄美大島で作られた最初の軍事施設という。船舶燃料補給の水槽として1891年(明治24年)頃に造られたとされている。貯水庫は昨年、集落の有志が集まり、貯水庫回りや上部の植物の撤去作業を実施。今年はさらに中の土なども撤去し、構造までわかるように整備した。さらに、同館が15年度に国立公文書館アジア歴史資料センターの資料で確認した取水口とろ過池が、集落への聞き取りで現存していることも発覚。調査日前に集落で周辺整備して確認したという。
取水口から貯水庫までは直線距離で400~500㍍ほど。取水口のある滝の標高は40~50㍍となっている。取水口に続く道とろ過池の側は現在、農業用水を取るために道路整備されており、同集落などが定期的に草刈りなどで手入れをしてきたという。
武田区長によると、集落の一部の住民は赤レンガで作られたろ過池や取水口の存在を知っていたといい、「近くに畑があった人などは、『昔の遊び場だった』とも話していた。私はその話を聞くまで存在も知らなかった」と語った。
学芸員・鼎=かなえ=丈太郎さんは「資料を確認し、集落に尋ねてみたところ、取水口とろ過池が残っていることが分かった。実際に現場を確認したのは今回が初めてだったが、今後、町の文化財指定や国の登録文化財などを目指していきたい。また、いずれはしっかりとガイドを付けたうえで見学できるなど、観光活用への仕組みも考えていけたら」としている。
武田区長は「先輩方から、久慈は良港だと言われていたが、それは軍事的な意味もあったのだと分かった。これだけ意味のあった場所だったということを、子々孫々まで残していきたい」と語った。