第49回戦艦大和慰霊祭

関係者約150人が参列した戦艦大和など特攻艦隊戦没将士の慰霊祭=7日、伊仙町犬田布岬

慰霊塔 世界平和誓いのシンボルに
伊仙町犬田布岬で

 【徳之島】第49回戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭(同実行委員会主催)は7日、3組の遺族や関係者約150人が参列して伊仙町犬田布岬公園の同慰霊塔の前であった。悲惨な戦争に駆り出されて艦と運命を共にした戦没将士3737柱の御=み=霊に鎮魂の祈りを捧げ、恒久平和の誓いも新たにした。

 初夏を思わす陽気(町内最高気温24・9度)のもと、西犬田布女性会員たちの奉納踊りで午後1時すぎに開式。地元参列者を代表して松下薫さん(85)が沖縄戦線への出撃途上の惨劇となった同特攻艦隊をしのび祭文奏上。「大和」の沈没時刻とされる午後2時23分、参列者全員で黙祷して冥福を祈った。

 「大和」の弾薬庫担当だった兄(当時27)を失った遺族、月本陽蔵さん(82)=兵庫県=が今年も遺族代表であいさつを述べた。彫刻家・中村晋也氏のデザインで1968(昭和43)年に建立され、修復(2010年)もなされた同慰霊塔について「訪れる人々が永久の平和・平穏を希求する縁=えにし=に。多くの尊い命を失って得た現代の日本の平和に感謝し、戦争のない世界平和を切望する新たな誓いのシンボルに」と念願。慰霊祭と慰霊塔を守り続ける町当局など実行委員会に敬意と感謝を示した。

 大久保明町長は慰霊のことばで「慰霊祭継続」の決意も表明。関係機関・団体代表らの玉串奉納と、参列者全員による白菊の献花で冥福を祈った。

「供養ができた」
おじの遺影抱え

大和慰霊祭も、堀之内さん

おじの遺影を抱え初参列した堀之内愛秀さん(鹿児島市)

 会場には、同特攻艦隊の巡洋艦「矢矧=やはぎ=」と運命を共にした故・堀之内愛秀さん(当時24)=鹿児島市出身=の遺影を抱えて初参列した甥で元自衛官の堀之内孜匤さん(85)=同=の姿もあった。

 「(伊仙町に)慰霊塔が建っているのは知っていた。戦後70年の節目(昨年)を経て一度は来たかった。大海原での激戦で沈んでいった姿が想像できる」。結婚もできずに24歳で戦没したおじを悼みつつ「慰霊祭への参加の念願が叶い、供養ができたと思う」と語った。

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 戦艦大和(72、809㌧)を旗艦とする旧日本海軍第二艦隊の計10隻は太平洋戦争末期の45(昭和20)年4月6日、沖縄突入の海上特攻「天一号(菊水)作戦」で山口県徳山港沖から出撃。鹿児島の西南西約3㌔を南下中の7日午後、米軍機動部隊艦載機の波状攻撃を受け、大和をはじめ巡洋・駆逐艦など計6隻が沈没。乗組員・将兵合わせ3737人が犠牲となった。