「東京奄美会」黎明期の史料発見

松山さん

奄美出身者の近代を知る貴重な史料「在京大島郡青年会々報」6冊が、今後の奄美史研究に活用されることへ期待を寄せる松山さん

集落ごとの会員名簿、職業も記載 90年前の「出身者の活躍垣間見える」
徳之島郷土研・松山哲則さん

 【東京】徳之島亀津出身で千葉県在住、徳之島郷土研究会会員の松山哲則さん(57)がこのほど、現在の東京奄美会へと続く黎明期の『在京大島郡青年会々報』6冊を発見した。大正後期~昭和初期に発行された同会報は、氏名、出身地、住所のほか、職業まで明記された約2千人もの会員名簿が掲載され、当時、既に多くの奄美出身者が東京などで活躍していた様子をうかがい知ることができる貴重な史料。松山さんは「奄美の近代史研究の資料活用に備えたい」と劣化対策のためデジタル化をほどこし、研究を目的とする人などに向けて史料をオープンにしていく考えだ。

 ■奄美出身者の躍動伝わる

 発見された会報は、1926(大正15)~35(昭和10)年の10年間に発行された6冊で、最も古いものが「第6回」(1926〔大正15〕年1月28日発行)。以下、30(昭和5)~35(昭和10)年までの間に発行された「第10回」「第12~15回」の会報が松山さんによって発掘された。

 内容は主に、会則、役員、寄付者芳名、会計報告などを記した「在京大島郡青年会記事」や、奄美からの進学を支えるための「財団法人大島郡青年奨学会記事」、「会員名簿」で、44㌻から多いもので83㌻の冊子となっている。

 会員名簿は当時の名瀬町をはじめ、合併などによってなくなっている三方村、東方村などを含む、与論村まで群島全域の1町19村別に掲載され、その掲載数は1157~2018人に上っている。陸軍教授として昇直隆(曙夢)氏、柔道家の徳三寶氏、日弁連会長などを務めた奥山八郎氏など歴史に名を残した人の名も多い。

 松山さんが注目したのは、会員名簿にある一般の人々の情報。特に職業欄には大学教授や警察署長、弁護士、裁判官、医師、外務省、海軍省、逓信省、鉄道省、紬商、硝子商、大学生など多様な職種が記載されており、90年前の東京で、既に出身者の多くが幅広い分野で活躍していたことがわかる。松山さんは「奄美諸島の島々・集落別に会員名簿を分析することで、奄美の人々の当時の動向をより具体的に把握するのに活用できる」とした。

 ■奄美の近代史研究に新たな光

 松山さんはこれまでも国立公文書館に保存されていた鹿児島県作成の土地台帳『明治12年大島郡竿次帳』などの存在を明らかにし、「字」の変移や、奄美に多い「一字姓」などについて地道な郷土研究をライフワークとしてきたが、昨年11月に奄美とは関連のない別の史料を求めるために通信販売専門古書店から目録を取り寄せたところ、偶然その中に『在京鹿児島県大島郡青年会々報』(6冊)という記述を見つけた。すぐさま会報を購入し、今年1月、その一部を奄美郷土研究会の故弓削政己氏に確認してもらうと「奄美の近代史研究に活用できる貴重な資料」との見解を得られたことから、史料保存のためすぐにデジタル化した。

 松山さんは史料を目にしたとき「まさか、名簿が付いているとは思わなかった」と驚き「この時代、先人は奄美から出て苦労があったと思う。出身集落ごとに世話役がいたとは思うが、これだけの名簿を作成する奄美の人々の団結力を再認識した」。また、東京奄美会の100周年誌の中でもこの会報について触れられていないことから「会の史料としても貴重。今では少なくなった名字も集落ごとにわかる」など、今後の奄美の研究史料としての活用に期待を寄せている。

 「在京大島郡青年会」は、第15回会報が発行された年の10月に、東京奄美会の前身となる「奄美大島郡人会」に改称されたことから、松山さんは「史料の第15回が会報の最終号と推測され、残り9冊の会報の収集は今後の課題としたい」と語った。

 デジタル化した資料については、論文執筆など研究目的の人に向け、資料を公開・利用できるようにする。ファクスでメールアドレスを通知してもらえれば、松山さんからメール・電話などで連絡・対応するという。「所蔵や出典を正確にしてもらえれば、原本閲覧やPDFファイルでの提供も可能です」(松山さん)。

 ファクス番号は(048‐651‐1545)。24時間受付。