エルフィン 妖精(上) 

「幸輝がいると、とても楽しい」と笑顔で語る須美子さんと幸輝さん親子

 

「ちょっとおかしい」「ちょっと違う」

誰にでも人懐っこい笑顔をふりまき、子どもから大人まで、みんなと打ち解けあう高い社交性――。奥幸輝=おくこうき=さん(26)は、そんな存在だ。彼がいるだけで周囲をリラックスさせ和やかな雰囲気に包み込む。幸輝さんには発生頻度のまれな神経発達障がいがあるが、その状態の特徴から欧米では「エルフィン(妖精)」と呼ばれている。

幸輝さんは4人きょうだいの3番目。上に姉が2人、下に妹がおり、須美子さんと忠幸さん夫婦にとって待望の男の子の誕生となった。お母さんの須美子さんは地元の高校卒業後、東京にある専門学校に進学し准看護師の資格を取得。医療への関心・専門的な知識が、後の幸輝さんの成長に大きな影響を与えることになる。

看護師となった須美子さんは大阪で忠幸さんと夫婦生活。2人目が生まれる直前に家族で帰郷し、奄美市名瀬有屋町で暮らすようになった。2年後の1990年、幸輝さんは誕生した。生まれたときの体重は2500㌘で、やや小さめだった。

市内にある総合病院小児科での入院は1週間程度だった。授乳のため新生児室を訪れた須美子さんは上の2人の子の出産経験、あるいは他の赤ちゃんとの比較から「あまり」という言葉が何度も頭をよぎった。「あまり泣かない」「あまり動かない」、そして抱っこしても「一度も目を開けない」。

出産時には心拍数の検査も受けた。須美子さんは不安が頭をもたげた。病院関係者からは「大丈夫ですよ」の声。目も眼球の状態を見る開眼器によって開いたものの、須美子さんの不安は収まらなかった。

▽まるで人形

退院後自宅に戻っても幸輝さんの状態に変化はなかった。「泣かない。赤ちゃんは泣くのが仕事なのに。まるで人形のお世話のよう」。長女・二女が赤ちゃんの頃に比べて全く手が掛からない。いや、手応えが無かった。須美子さんが呼びかけても反応が鈍い。

泣くことによる自らの意思表示を発しないためだろうか。「タイミングを見て授乳しても、ちょっと飲むだけ。なかなか体重が増えなかった」。

「ちょっとおかしい」「ちょっと違う」。須美子さんの不安は膨らむばかり。定期的な乳幼児健診などの際に医師などに相談した。「あんた心配し過ぎ」。慰められても須美子さんの気持ちが晴れることはなかった。そんな心境に手が差し伸べられたのは、小児科専門の開業医を受診した際だ。

まだ免疫力が低い幼児期はさまざまな感染症にかかりやすい。その病院は須美子さんにとって子どもたちが風邪などにかかるたび頻繁に利用し、診察する医師には何でも相談できる間柄だった。次女の風邪で利用したところ、医師は「男の子が生まれたんだって」と須美子さんに笑顔で語りかけ、幸輝さんを抱っこした。

須美子さんは「ちょっと心配で」と、気になる状態を説明した。医師は聴診器で幸輝さんの心音を聞き、幸輝さんが生まれた病院の担当医に電話し言った。「お母さんが心配している。この子の心臓の状態をきちんと診断し、対応してほしい。今すぐ親子をそちらに行かせる」。これが幸輝さんの本格的な検査の始まりだった。

▽判明

生まれてまだ1カ月あまり。幸輝さんは小さな身体で、総合病院ではエコーや心電図などの検査を受けた。「心疾患の疑いがある」ことはわかったものの、その原因やどのような症状を生むのかはっきりしない。須美子さんは、幸輝さんの成長の不安を払しょくするためにも明確な診断結果を求めた。

「県本土のもっと高度な医療を受けることができる専門機関に行きますか」。医師の言葉に須美子さんは躊躇することなくうなずいた。2、3カ月に1回の割合で県本土の病院通いが始まった。離島からの通院は重い負担だ。幸輝さんの体力の面から長時間かかる船舶は利用できない。航空機に限定され、空港から鹿児島市内までの交通も時間を短縮するため料金の安いリムジンバスではなくタクシーを利用するしかなかった。

「市内に到着し病院で検査を受けるのは翌日。複数の検査を受けるため一日で終わることはなく、一回の通院で3泊4日を費やした。交通費に宿泊費、そして医療費。毎回通院のたびに10万円を準備した」。現在のような航空運賃の割引制度もなく全て実費だ。それでも大阪時代の蓄えを崩しながら、「幸輝のために」離島からの通院を1年、そして2年と重ねた。

検査の結果、心臓の手術を勧められた。須美子さんは迷った。「心臓の疾病だけで反応の悪さ、動きの悪さといった症状を招くのだろうか。なによりも、あんなに小さな身体で心臓の手術に耐えられるのだろうか…」。

名瀬に戻り再び小児科専門の開業医のところに足を運んだ。医師は医学書を取り出しこう言った。「これを見てごらん。この特徴的な顔貌=がんぼう=、幸輝の顔と似ていない?この本を書いた人は、東京の病院の医者だけど診察を受けたら」。本には症例の顔写真が添えてあった。大きな口、小さな上向きの鼻、ふっくらした唇…「幸輝とそっくり。この先生に診てもらおう」。須美子さんは決意し踏み出した。

 幸輝さんが2歳になった92年、母子は東京女子医大を訪ね、先天性異常の専門家である小児科医師の診察を受けた。それにより幸輝さんは、染色体疾患の一つ「ウィリアムズ症候群」を発症していることがわかった。

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心身障害児通園事業「のぞみ園」の記念すべき卒園第1号となったのが奥幸輝さん。のぞみ園での療育を経て通常の学校や特別支援学校で学び、現在就労して社会生活を送る。家族の関わり、地域の関わりによる幸輝さんの成長を綴る。
(徳島一蔵)