奄美で「ハンセン病市民学会」

パネルディスカッションでは奄美和光園の将来について語った

一村資料館の建設提言
和光園将来構想で意見交換

 全国のハンセン病療養所の入所者などでつくる「ハンセン病市民学会」は13日、奄美市名瀬和光町の国立療養所「奄美和光園」(加納達雄園長)の講堂で、奄美集会を開いた。ハンセン病問題に取り組む、德田靖之弁護士と国宗直子弁護士が来島。同園の将来構想についての基調講演やパネルディスカッションで意見を交わした。

 集会は全国13カ所にある療養所で巡回開催され、今年度は県内実施。「らい予防法廃止20年・ハンセン病国倍訴訟勝訴15年を迎えて」をテーマに、奄美市と鹿屋市で集会と交流会があり、奄美大島島内外から約150人が参加した。

 パネラーには、同学会奄美実行委員会の福田恵信委員長、福崎昭徳全医労奄美支部長、一村会の美佐恒七会長が加わり、国宗弁護士を進行役に始まった。

 将来構想のあり方について、同園に縁があり、ハンセン病医療に尽力した小笠原登医師、著名画家・田中一村の資料館建設を提言。同病の歴史が学べる教育機関としての役割を求める意見が出た。

 国宗弁護士は、一村が入所者との交流があり、遺影スケッチなど貴重な作品が現存していることを説明。作品の一つを提示すると場内から驚きの声が上がった。美佐会長は「昔、同園の近くに住んだ一村と入所者との関係性から、資料館構想については評価したい」と述べた。

 福田委員長は「『和光トンネル』『和光町』は園名から由来。住民交流も増え、環境は大きく変化している」と話し、地域に親しまれている施設としての存続を強調した。

 基調報告で同園の継続運営を訴える德田弁護士は、医療・福祉の拠点施設とする構想を提言。皮膚科の専門医療機関としての外来実績、園内の旧納骨堂の史跡的意義などを踏まえ、「和光園は地域の一医療機関として住民に認知されている。今後は地元自治体(奄美市)が運営主体となることが構想の鍵となるのでは」と結んだ。

 同園の馬場まゆみ医長は「奄美和光園での地域医療の現状と可能性」を講演。外来患者数は15年5721人、1日平均40・9人で年々増加傾向にあるとした。その一方、常勤医が1人である現状から、医療体制の充実などを訴えた。

 同園関係者によると、5月1日現在、入所者は33人で平均年齢は84・8歳。