天城町教委 戸森の線刻画調査報告書

「戸森の線刻画」調査で新たに発見した「第3線刻画」(天城町)=調査報告書より

線刻画報告書 (1)
戸森の線刻画調査報告書

「歴史的事象」のメッセージか
「第3線刻画」発見で考察

 【徳之島】天城町教育委員会は2012~15年度に発掘調査した「戸森の線刻画」遺跡(同町瀬滝)の埋蔵文化財発掘調査報告書(7号)を発行した。「謎の歴史メッセージ」と諸説紛々の奄美群島唯一の線刻画遺跡。新たに「第3線刻画」も確認。弓矢の刻画、また島内の線刻画群(犬田布岳、徳之島町母間)との共通性も含め、17世紀以降「在地の人々が実見した歴史的事象を伝え残すために…」とも考察している。秋にシンポジウムを行う。

 同町秋利神川の上流に位置する「戸森の森線刻画」遺跡。1922(大正11年)ごろには一部に認識され、数々の歴史研究者らが調査。町教委は89(平成元)年に梅光女学院大学に正式調査を依頼し、92年1月に町文化財に指定し、国営農地開発事業地区から除外。00年に町有化し史跡公園として整備した。

 今回の発掘調査は「天城町に残る特徴的な文化財」との認識の上に年代、歴史的価値を明らかにし、県または国の文化財指定実現が目的。文化庁と県文化財課の調査指導のほか、「戸森の線刻画調査指導委員会」(委員長・明石善彦九州国立博物館展示課長、5委員)も設置。12年度から国宝重要文化財等保存整備費補助金を活用して調査した。

 出土遺物が極端に少ないなか、線刻画周辺の発掘トレンチから、17世紀後半の備前産染付鉢と近世のものと考えられる染付碗などが出土し「17世紀後半ごろから一帯の開発行為(水田など)が始まったと考えられる」。図柄のほとんどは船形刻画と弓矢型刻画で占められ「主要な画題に」。船形(「布帆船」表現との指摘も)は、丹念に忠実に描かれたものから、しだいに簡素化していく。弓矢の鏃=やじり=については①菱形②逆三角形③雁又=かりまた=④その他―に大きく分類。鏃に透を表現し、矢形刻画が多く認められることから「一定の知識があった者が描いたと想定できる」と考察する。

 これらのことから、島津氏の琉球侵攻(1609年)など含め、「大きな歴史的出来事を実見した者(在地の島民)が、それを伝え残すために描いた可能性も考えられる」との考察も。町教委の具志堅亮学芸員らは「文献資料に限りがある徳之島で、戸森の線刻画は、過去の海事史や船の構造、弓矢の形状などを考察する資料として非常に重要」と結んでいる。

 今秋には現地説明会とシンポジウムを計画している。