核兵器廃絶、戦争のない世界の実現を訴える奥田さん
オバマ米大統領が27日、広島、長崎に原爆を投下した国の現職大統領として初めて、広島市の平和記念公園を訪れた。被爆から71年。長崎県で被爆した奥田静男さん(88)=奄美市名瀬=は「原爆は人類を滅亡させる兵器。今後核兵器が使用されることがないよう、戦争のない世界を実現してほしい」と期待を寄せた。
奥田さんは17歳で徴用され、長崎県の造船工場で働いていた時に被爆。中心地から3・2㌔の地点でその時を迎えた。
翌10日、叔母家族らが住む中心地へ向かった。中心地に近づくにつれて、やけどで皮膚が垂れた人が増え、道路や川には多くの遺体…。叔母も川で遺体で見つかり、街は言葉では言い表せない惨状だった。
食料確保に奔走し、生きるために必死な日々。配給を待つ間に人づてに終戦を知った。奥田さんを含む叔母家族10人のうち、5人が終戦を迎えたが、生き残った姉らも8月末には発熱や髪の毛が抜け、肌に黒い斑点が出るなど共通する症状で相次いで亡くなった。島へ帰るために滞在した鹿児島本土で、奥田さんにも体に黒い斑点ができ、「自分も死ぬのか」と思いもよぎったが、その後、被爆による健康被害はなかったという。
奄美に帰郷後、両親や親せきに長崎での経験を話したきり、奥田さんに被爆者手帳が交付された84年までの約40年間、周囲はもちろん、夫人や子どもにも被爆者という事実は伏せた。長崎で聞いた「長崎には今後50年草木が生えない。被爆者からは奇形児が生まれやすくなる」という話がブレーキとなり、打ち明けることをためらったためだ。
その後は2008年に解散した県原爆被爆者福祉協議会奄美支部で最後の支部長を務めるなど、精力的に活動。少しでも多くの人に核兵器の恐ろしさを伝えるため、各地で被爆体験を語った。
「アメリカは戦争を終わらせるため、原爆を投下した。悪いのは戦争を始めた日本で、被爆者への謝罪は言語道断」と持論を展開する。それでも原爆投下から71年。「核なき社会」を全世界に訴え、09年にノーベル平和賞を受賞した現職大統領の訪問は、「被爆者全員が待ち望んでいたと思う」と歓迎する。
戦時中と平和な時代の両方を生きた奥田さんにとって、二つの時代の命の重みの違いを指摘する。「核兵器保有国が戦争すれば、再び核が使用される可能性がある」と話し、世界各地で絶えることのない紛争を嘆く。
今回のオバマ大統領の訪問は「米国内での反対もある中、相当な思いで来たと思う」と評価。「原爆の悲惨さを見ているからこそ、ノーベル賞を受賞した時のように、もう一度核兵器廃絶を呼びかけてほしい。同じ人間同士が殺し合う戦争が世界上で起こらないよう、各国で手を取りあってほしい」と訴えた。