成長 (上)

将来の夢は「船員になりたい」という爽太くん。接岸したフェリーを見つめる眼差しは熱い

一つの行動で悩みに直面

 奄美市名瀬の佐大熊港。梅雨とは思えない晴天となった土曜日の午後、空の色彩と同化したような白と青の船体が接岸していた。十島村が運航する「フェリーとしま」(1391㌧)だ。

 船のタラップ近くで船員らに話しかける一人の少年がいた。手にはコンパクトカメラを握りしめている。「フェリーとしまとフェリーきかいが好き。船の形のほか、船員さんがすごく優しい。ぼくの話を聞いてくれる。操舵室を見せてもらったこともあるんだ」。目を輝かせて語る名瀬中学校3年の秀爽太=ひでそうた=くん。乗り物、とくに船が好きという爽太くんの将来の夢は、憧れの船員か乗り物に関係する仕事に就くこと。爽太くんは発達障がいを抱える。自閉症を含む「自閉スペクトラム(連続体)症」で、個人差が大きくそれぞれの特性が多様だが、一般的な特徴としては社会性・コミュニケーション・想像力に困難を抱え、それに基づくこだわり行動があるとされている。しかし爽太くんは小学校時代まで続いた療育によって生活や対人の力を身に付け、成長してきた。

 ▽気になること

 爽太くんは2002年に鹿児島市で生まれた。母親の真由美さんは奄美市出身。地元の高校を卒業後、鹿児島市のホテルに就職。レストランに配属された際、そこで知り合った男性と結婚。やがて爽太くんを妊娠した。妊娠中忙しく動き回ったため真由美さんの体調が心配されたが、予定日より1カ月近く早かったものの自然分娩(2450㌘)で出産。「スピード出産といってもおかしくないほど、あっという間の早い出産だった」。

 3人となった家族は静岡県へ移り住む。夫の仕事の関係だった。爽太くんは1歳までは月齢通りの成長を見せた。首のすわりやハイハイ、寝返りも順調だった。

 1歳を過ぎた頃、真由美さんは爽太くんの状態が気になり始める。「こんな番組を見たら喜んでくれるだろう」とスイッチを入れたNHKテレビの幼児向け番組にまったく関心を示さず、歌や音楽が流れても見向きもしない。言葉への反応も鈍く、真由美さんが「ママよ」と語りかけても爽太くんの表情は硬いままだった。

 そんな爽太くんも興味を示したものがあった。車のおもちゃ、黄色いミニカーだ。同世代の子どもがいる近所の知り合いのところを親子で訪ねたとき、爽太くんは友達とは別行動をとり、そこにあったミニカーの方を好んだ。あまりの執着ぶりに真由美さんが買い与えると、爽太くんはずっと一人で、ミニカーで遊び続けた。お風呂の中にまでミニカーを持ち、手放そうとしない。黄色い塗装があっという間に剥がれ落ちたという。「ミニカーにこんなに興味を示す息子が、とても可愛く感じられた」。爽太くんの興味はミニカーだけでなく電車や船、飛行機など乗り物全般に広がっていった。

 ▽ゴンゴン

 友達と一緒になって遊ぶよりもミニカーなど乗り物のおもちゃを手に一人遊びを好む爽太くん。1歳半の頃だった。真由美さんは、爽太くんの一つの行動をきっかけに子育ての悩みに直面する。突然かんしゃくを起こしたかと思うと、自らのおでこを床にゴンゴンとぶつけ泣き始めたのだ。「その行動をとるのは、自分が嫌だと思ったときで、泣く前にする行動だった」。

 床におでこをぶつけるゴンゴンは次第に激しくなり、真由美さんは不安に駆られた。さらに心配事が続いた。なかなか言葉が出ないのだ。2歳半になってもまったく言葉をしゃべらず、爽太くんはいつも強張った顔をして、相変わらずおでこをゴンゴンする。真由美さんは他の子どもの成長が気になった。近所の爽太くんとは1カ月違いの友達。その子の方が後から誕生したのに、「爽太くんのお母さんバイバイ」とまで発語する。友達と息子を比べてしまい、いっそう不安が募り悲観するようになった。

 やがて手が差し伸べられた。保健師からの親子教室への参加の呼びかけだ。息子の状態に関する相談に乗ってもらえるならと真由美さんは爽太くんと一緒に参加した。ところが爽太くんは嫌がり、玄関先に逃げてしまった。玄関先からは爽太くんが大好きな電車が見えた。親子教室が終わるまで、爽太くんはほとんど電車を見て過ごしていたという。

 そんな爽太くんの様子を見ていた保健師から、真由美さんのもとにこまめに連絡が入った。言葉の発達の遅れなど気になる状態に関して。「今、振り返ると、その保健師さんは、息子の発達障がいの疑いをいち早く感じたのではないか。3歳を機に、療育センターに通うことを勧められた。そのとき初めて、私は『障がい』という言葉が頭に浮かんだのを覚えている」。

 子育てに自信がもてず、爽太くんとともに自宅に引きこもりがちになってしまった真由美さん。夫に悩みを打ち明けた。ところが聞く耳を持たなかった。「自分の子どもに遅れなどがあるはずがない。気にするな。そのうちしゃべるようになる」。そう言って悩みを真剣に受け止めてくれない夫。真由美さんは一人で悩むことが多くなり、夫婦関係は悪化し始めた。

 このまま夫の仕事の関係で移り住んだ静岡にいても孤立するだけ…真由美さんは決意した。夫とは離婚し、爽太くんとともに実家がある奄美へ戻った。
  × × ×
 「見えない障がい」のため周囲の理解や受け入れが難しいとされる発達障がい。人の目を見て話すことが苦手、突然大きな声を出してしまう――などの態度や行動から、「自分勝手で困った人」と誤解されてしまう場合もある。「幼児期から早期に継続して療育に取り組むことが、その後の発達にも非常に重要」という専門家の指摘がある中、のぞみ園での療育やその後の特別支援教育から見える少年の姿を追う。
 (徳島一蔵)