成長(下)

爽太くんらが授業を受ける特別支援学級。発達段階にあわせて個を尊重しながら分かりやすい授業が進められている

「自閉症でも働ける示したい」

 小学校時代の爽太くんについて真由美さんはこう表現する。「一人で自由気ままなマイペースで過ごしていた1~2年生」「周りの目を気にするようになり、恥ずかしいという気持ちを感じるようになった3~4年生」「大きな変化があった5~6年生」。

 大きな変化、それは友達の存在だ。失敗が多く、周囲に迷惑をかけてしまうこともあったという爽太くん。そんな状況に対し真由美さんは他の保護者からこんなことを聞いた。「自分の子どもが爽太くんについて家庭で話してくれた。『爽太はもう少しなのに。あとちょっとで出来るのに』と言っていた」。息子の頑張りを、あきらめないで見ている友達がいることに真由美さんはうれしさを感じた。

 さらに驚いたのは友達が家に遊びに来るようになったことだ。幼い頃、母子で公園や同世代の子どもがいる世帯へ遊びに行っても、他の子どもと一緒になることなく一人遊びに興じていた爽太くん。それが友達の訪問を迎え入れ、ゲラゲラ笑いながらとても楽しそうにゲームなどで遊ぶ姿が見られた。

 真由美さんは語る。「特に6年生の交流学級(特別支援教育を受ける学級ではなく、他の児童とも一緒となり全体で授業などを受ける学級)のクラスは、とても居心地が良かったようで、息子はクラスの集合写真を大事に、休みの日もバッグに入れて持ち歩いていた。6年間通ったこの学校で、息子を支えてくれる友達が出来たことが、息子にとって何よりも小学校生活の宝になった」。

 ▽交流学級

 仲が良かった友達の存在。それが中学校になると状況が変わる。部活動の関係だ。運動が苦手な爽太くんは文化系の美術パソコン部に入ったが、友達の多くが運動系の部活を選択し下校が別々になった。一緒に帰宅できないことに不安を感じた爽太くん。「どうしたらみんなと仲良くなれるの」「船好きの自分をやめたい」「みんなから嫌われたくない」。母親の真由美さんに問いかけると同時に、あれほど好きだった船の本も読まなくなった。

 学校で無意識のうちに言葉に出てしまうのが「ごめんなさい」。相手の気持ち・意図を理解するのが苦手な爽太くん。自分の言葉や態度によって友達が嫌な顔をしたり、その場から離れてしまうことがあった。それがとてもショックだった爽太くんは、まるで“防衛本能”のように謝るという行為をとり、「その方が安心だった」。

 そんな状態もある友達の一言で落ち着き始める。「俺は俺のままでいいと美術部の友達が、言ってくれた。だから、もう大丈夫」。そう母親に言って、またいつものように船の本を読み始めたという。小学校同様、通常学級と特別支援学級を切り離すのではなく、両学級の連携により醸成される生徒たちの一体感がもたらしたのだろう。

 現在、爽太くんは名瀬中学校の3年生。特別支援学級を担当するのが川畑尽美先生だ。爽太くんが所属する3組(交流学級)の副担任でもある。今年4月に赴任したばかりだが、特別支援教育に携わって7年目のキャリアがある。

 発達障がいを対象にした学級には爽太くんを含めて3人が在籍する。科目のうち国語・数学・理科(専科の教員が担当)・英語は支援学級で授業を受け、社会・実技(技能を伴う)は交流学級で。

 授業の様子について川畑先生は語る。「爽太くんは書くなど動作を伴うのが苦手なところがある。例えば国語の漢字を書く場合、枠にきちんと文字を書き入れることがなかなか難しい。でも音読など読む学習はとても得意。みんなが集まったときに司会をすることも出来、自分の言葉で話すことが出来る」。

 そんな爽太くんを川畑先生は「早期療育の効果」と指摘する。技能的な作業や運動など苦手な場面に直面しても「爽太くんは投げ出さない。全体の中(交流学級)で、みんなと一緒に行動している。とても素晴らしいことです」。

 中3は義務教育の最後だ。今後の進路について爽太くん、母親の真由美さんは中学1年の夏休みに見学に行った鹿児島市にある県立鹿児島高等特別支援学校への進学を目指している。軽度の知的障がい等がある生徒の就職教育に力を入れている学校だ。川畑先生は「他の選択肢を含めて爽太くんの特性を伸ばす教育環境を考えながら1学期は検討し、本人・保護者・学校が話し合いながら進学先を決めていきたい」と話す。いずれにしても進学により爽太くんは奄美を離れる決意だ。

 ▽恥ずかしくない

 自分の状態を発達障がいと受け入れたのは中学生になってから。爽太くんは話す。「昔からお母さんの話を聞いていたので知っていたが、中学になってあらためてちゃんと自分の障がいを聞いた。別に恥ずかしいとは思わない。同じ人間なんだし。なかには、ぼく以上に大変な人もいる。多少遅れがあるからといって差別しないでほしい。最初に聞いたときはちょっとびっくりしたけど、大丈夫だからいいやと思った」。

 交流学級と支援学級。大勢の仲間と触れ合うのは交流学級だ。「確かに(交流学級の方が)にぎやかだけど授業で意味が分からない問題とか出てくると困ってしまう。『あおぞら』(特別支援学級)なら自分のペースでゆっくりと考えることが出来る。川畑先生は分かるまで教えてくれるし、進学を目指している高等特別支援学校の過去問題も出してくれる」。

 爽太くんはさらに続けた。「友達などとの会話は苦手ではないよ。でも、過去にテレビで覚えた言葉を友達に使い、それで怒らせてしまったことがある。あれはきつかった。以来、言葉の意味を調べて使おうと思っている。言い方を変えてみる方法もある。一生自閉症に向き合うことになるけど、ちゃんと就職し、自閉症でも働けるんだと示したい」「学童まで含めて、のぞみ園に行って良かった。もし行かなかったら自分を見失っていた。普通に暮らしてなかった。また(のぞみ園から)キャンプに誘ってもらえたら行きたい」。

 最後に爽太くんは「将来、自分が偉くなったらやりたい」ことを語ってくれた。「きつい言葉に『害=がい=』がある。人間じゃないというような扱いを感じ、心の傷として残る。法律をつくって今の世界から『害』という言葉を使うことを禁止にしたい」。

 自分自身の考えに基づいた主張、これからさらに爽太くんは成長し続けていくだろう。