療育手帳を見つめながら、これまでの歩みを振り返る禎末美さん尋之さん親子
「今まで思い出してみると色々なことがあったね。生まれてから約50日の入院。5カ月目から3カ月間のリハビリ入院。そして2年半のリハビリ。その間、大変だったけど、ひろ君の成長と笑顔に励まされ何とか頑張ってきた」。これは、のぞみ園の卒園記念誌に掲載された一文だ。ひろ君とは今春、大島養護学校を卒業した禎尋之=ていひろゆき=さん(18)。書いたのは母親の末美さん。尋之さんには軽度の知的障がいがあり、療育手帳B2を所持している。
仮死状態で生まれた尋之さん。出産にあたり末美さんが県立大島病院で定期健診を受けた際、心音が聞きづらいと指摘された。これが予兆だったかもしれない。
12月上旬の予定日より少し早い9カ月目に末美さんは緊急入院。自然分娩ではなく帝王切開での出産となった。尋之さんは3090㌘で誕生。麻酔から目が覚めて、わが子の様子を確認した末美さんの目には保育器が狭く感じるほどだった。ところが間もなく違和感を持った。呼吸の異常を示す「新生児多呼吸症候群」と診断されたことから、酸素を送り込む処置が施されていたのだ。
尋之さんは新生児のICU(集中治療室)に入院。末美さんは出産後2週間で退院したが、誕生した11月20日から年明けの1月6日まで尋之さんは入院が続いた。母乳を与えるため病院に通った末美さん。その度に目の当たりにしたのが検査づけのわが子の姿だ。脳波やCTなど。「無事に退院できるのだろうか」。不安が頭をよぎった。
依然として酸素吸入が続いたが、12月半ばには、呼吸器が外され、尋之さんは自らの力で呼吸ができるように。授乳時などそばで付き添ってきた末美さんは安堵すると同時に、わが子と自宅で過ごせる日々に希望が持てた。
▽リハビリ
退院後、母子は当時県立大島病院で行われていた小児発達外来を受診。姶良市加治木町にある南九州病院(独立行政法人国立病院機構)と奄美療育研究会が担当した。年4回の受診のうち、最初の2月の受診の際、末美さんは南九州病院の担当医からこんな指摘を受けた。「(尋之さんは)筋力が極端に弱い。歩くことができないかもしれない」。身体の様子では反りの強さを感じることはあっても、普通に抱っこできたことから末美さんは戸惑いを感じたという。
診察した南九州病院の担当医から教えてもらった足首を左右に揺らすなどの「赤ちゃん体操」で様子を見ながら、やがて末実さんは決意した。「ちゃんと歩けるように、南九州病院に直接行ってしっかり診てもらおう」。
4月から3カ月間、南九州病院に母子入院をした。そこで一日4回取り組んだのが「ボイタ法」と呼ばれる訓練だ。ドイツの小児神経学者だったボイタ教授によって発見された、「反射性移動運動」を利用した運動機能障がいに対する治療法だ。子どもに特定の姿勢をとらせ、特定の部分(誘発帯)に適切な刺激を与えると、全身に運動反応(筋収縮)が繰り返し引き出される。教授はその反射性移動運動が新生児でも大人でも脳性まひ児でも引き出されることを確かめ、人間の脳に生まれつき備わっている運動パターンであると考えたとされている。
「マットの上で横向きになり、手と足に刺激を与えるなどして筋力を強くする方法がとられた」(末美さん)。まだ生まれたばかりの尋之さん。泣いてばかりだったという。退院後は半年に一回の短期入院を3歳になるまで繰り返した。
生後すぐから現れていた、けいれんを抑える薬を服用しながら、まだ幼い尋之さんはリハビリを重ねた。2歳になるとつかまり立ちができるようになり、これを境に好転し少しずつ歩けるように。末美さんと手をつなぎながら歩行することも。やがて一人で歩き回るようになり、歩けない心配は解消された。ここで末美さんは重大なことに気づいた。「そういえばうちの子しゃべっていない。言葉に遅れがある」。発達外来での関わりから、のぞみ園の利用を自然に選択した。尋之さんが3歳のときだ。
▽母子通園
早期発見の場として、療育の分野から県立大島病院での発達外来に参加していたのが、のぞみ園保育士の大山周子さん。子どもたちの運動機能の改善やコミュニケーションの方法が上手に出来るようフォローしていこうと発達外来が設けられた。尋之さんとの関わりは5カ月目から。「ブニュとした感じで身体がとっても柔らかく、筋力が弱いなあという印象だった。南九州病院でのリハビリなど歩くことに一生懸命で、お話のことまで気が回らなかったかもしれない。母子通園を始めた頃は、『アー、アー』などの発音はあっても言葉として続けることができなかった」(大山さん)。
最初の頃、母子の姿勢は対照的だったという。初めて訪れた場所なのに尋之さんは人見知りすることなく、ニコニコと人懐っこい笑顔であいさつ、誰にでも寄って行った。一方で末美さんは、どこか不安げな表情で申し訳なさそうにしていたという。
末美さんは振り返る。「のぞみ園での母子通園は私の方が救われた。わが子の言葉の遅れに不安でいっぱいだったが、同じような悩みを抱えるお母さん方との交流で話をすることで、お互いに悩みを共有でき、共感し合いとても心強かった。勇気づけられた。尋之と一緒に通うことが楽しみになった」。
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平気で差別する不寛容な社会――。作家の宮崎学さんは今の日本をこう表現する。ネット時代となり、特定の人物を嫌悪し、民族を差別し生命の尊さを否定するような書き込みを平然と行う人々の存在。こうした不寛容さこそが、7月末に相模原市の障がい者施設で起きた殺傷事件の背景を解く鍵というのが宮崎さんの見解だ。
不寛容さ、奄美では無縁と信じたい。発達障がいを抱えながら療育や特別支援教育を経て養護学校の高等部を卒業、社会人としての自立へ一般就労を目指す青年の姿を追う。周囲の理解や関心、これによって不寛容な社会を排除できないだろうか。
(徳島一蔵)