大阪で唄う二人の唄者インタビュー

大会当日、会場前で。懐かしいシマウタを聴かせた大阪から出場の二人(左・新谷めぐみさん、右・田中真由美さん)
 

田中真由美さん ヒギャ節からカサン節へ 
新谷めぐみさん 疎外感から島人仲間入り

【東京】先日東京で開かれた「奄美島うた・のど自慢大会」には、全国からの出場者があったが、大阪から参加した田中真由美さんと新谷めぐみさんが、懐かしいシマウタを唄っていたので、二人に話を聞いた。

田中真由美さんは、奄美市住用町生まれ、大阪育ち。両親が奄美出身でシマウタ好きということもあり、幼い頃からシマウタが身近にある環境で育ち、当たり前のようにシマウタに慣れ親しんだ。その頃は父親のシマである、瀬戸内町のヒギャ節を歌っていたという。

今のカサン節に転向したきっかけは、カサン節に「この人有り」と言われた上村藤枝=かんむらふじえ=さんに、遊びにおいでと誘われ、自宅に伺った日のこと。「唄ってみなさい」の言葉で、失礼ではないかなと思いながらもヒギャ節で「朝花」を唄った。声が似ているからということもあったが「きょうからあなたは私の弟子だから」と言われ、その日から上村さんに付き、カサン節へ。家族も応援した。

最初は、朝花節の「ハレーカナイ」の節がどうしても出ずあきらめかけたが、3カ月かかってなんとか習得。ヒギャ節からカサン節へ。有名な人だから、出来るとこまでついて行ってみたいと始めたカサン節ももう7年に。唄の詞はいろいろ知っていたので、カサン節の節=ふし=を覚えたらその先はスムーズだったという。「先生のお囃子でステージに立つと、後ろにいても先生のパワーが伝わってきて、プロの唄者ってすごいと思いました。感動して涙が出てしまうこともありました」。

2013年に師匠であった上村さんが亡くなられてからは、自分が先生の唄をつないでいきたいと、唄い続けている。

のど自慢大会への出場は今回で4回目。「東京は、じっくりと唄を聴いてくれる。上村さんの節を一人でも多くの人に伝えたい。両親の愛した島の文化を広くみんなに届けたいので、唄えるチャンスがあればと思い出場しています」。この日はカサン節で「こうき節」を披露した。懐かしい唄声に、年配者やシマウタ好きな人から、「懐かしい」とよく声をかけられるという。知っている歌詞が多いので、この大会のウタアシビの演目でも、無くてはならない存在になっている。

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もう一人、新谷めぐみさんは、佐賀県出身、今回で三度目の出場。島料理の店で初めて聴いた「よいすら節」に心打たれたのが、シマウタとの出会い。その後、沖縄民謡を習うも、その時の先生が開いた沖縄民謡と奄美民謡の唄比べのステージで太原俊成さんの唄を聴いて「これだ!」と感じ、太原民謡愛好会の門をたたいた。

一度は断られたものの、手紙で申し込むなど、その熱心さが伝わり入門が許された。習い始めて10年、これまでは「『都会の人が偉いね~』と言われ、なぜシマッチュでないんだろう」と、悔しい思いもしてきた。「今回初めて受賞して、島の人からの疎外感のようなものを感じていたけれど、これでやっと仲間入りできたようでうれしい」と話す。

「シマウタは金屏風の前で唄うと言うより、もっと泥臭いもののような気がするんです。太原先生の唄にそれを感じたので、どうしても習いたかった。今は録音や録画など便利なツールがありますが、そこには心が乗っかってない。何かが違う気がするので、昔のように自分の耳と目と心で学ぶことにこだわりたいんです。これからも唄が自分の一部になるように唄えることを目標に頑張っていきたいです。今回の受賞はいろんな運が重なっての結果、自分の実力とかより先生に喜んでもらいたい気持ちで応募しています。受賞も直接言いたいので、まだ報告していません」と歓びの声を聞かせてくれた。この日は、ヒギャ節で、「行きょうれ節」を披露した。

この日は、見事アベックで受賞。新谷さんが準優勝、田中さんが特別賞に輝いた。「毎年ここに来ることが楽しい。実は前日の夜からこれは始まっていて、出場者たちでウタアシビを楽しんでいるんです。それもまた楽しい」と、口をそろえた。シマウタが結んだ縁、二人は東京のシマウタ仲間との交流も楽しみにしている。

シマウタに向かい合う真摯な姿勢が、あの懐かしい唄に込められているのだなと、二人の話を聞いて納得した。
(屋宮秀美)