「崎原分教室」跡碑を除幕

「犬田布簡易小学校崎原分教室跡」石碑の建立除幕を喜ぶ関係者=1日、伊仙町崎原公民館前

犬田布小120周年実行委
伊仙町崎原に受け継がれてきた歴史再確認

【徳之島】「崎原=さきばる=に学校があった事実を後世に」―。伊仙町崎原集落の公民館敷地で1日、「犬田布簡易小学校崎原分教室跡」石碑の除幕式(犬田布小学校創立120周年記念事業実行委員会主催)があった。児童たちも交え、同小創立に先駆けた129年前に学舎が存在して先人らの教育文化の気風が根付き、受け継がれてきた歴史を再確認した。

犬田布小校区の崎原集落(現在約70世帯)は同町西端の琉球石灰岩層土壌の高台に位置。約250年前、現在の徳之島町亀津・尾母地区から開拓者たちが移住し、不毛の原野を開墾して農村集落を形成したのが始まりとされる。

同分教室が存在した歴史は住民の間でも風化、幻の学び舎状態になっていた。犬田布小創立120周年記念事業実行委の亀山喜一郎委員長(75)=元同小校長・伊仙町教育長=ら関係者が、犬田布小沿革史や「崎原の歴史」(寛山成男氏著)、分教室教師を務めた徳山元保氏(同地出身)の履歴書記録などを調査。1889(明治20)年から10年間、存在した(卒業生数は不明)ことなどを解明。碑建立を120周年記念事業に位置付けた。

除幕式には、同集落の犬田布小児童8人や記念事業実行委役員、住民など関係者約60人が参加した。各代表で除幕後、犬田布小の別府律子校長は「分教室は島の教育の場の先駆けで誕生して多くの先人を育て、崎原の地には教育文化が根付いている。分教室から始まった犬田布小の歴史に恥じない努力をし、今後も地域一体となった学校の創造に努力します」。児童代表の重大誠君(6年)は「崎原に学校があったと聞いてびっくり。今もあったら通学が楽と思った。この学校のことを忘れないようにしたい」。

亀山委員長は調査の経緯や、小さな崎原集落から計34人の教職員を輩出したことにもふれ「この碑を通じ、今の子どもたちが頑張ろうという気持ちになって欲しい」とも呼びかけた。

犬田布小(児童数78人)の創立120周年記念式典・祝賀会は今月30日にある。