奄美・沖縄諸島 先史学の最前線④

ナガラ原東貝塚(沖縄県伊江島)調査風景

イノシシ下顎骨出土状況(ナガラ原東貝塚)
イノシシ下顎骨出土状況(ナガラ原東貝塚

遺跡出土脊椎動物遺体からみた奄美・沖縄の動物資源利用
樋泉 岳二(早稲田大学)

 奄美・沖縄諸島の遺跡の特徴のひとつとして、多くの遺跡から脊椎動物、つまり魚類や鳥獣類などの骨が出土することが挙げられる。これらはかつての自然環境や人びとの暮らしを調べるための重要な手がかりであり、私は長年にわたってこれらの骨の研究を行ってきた。その結果、近年では動物資源利用の様相が大きく3つの時代に区分されることが明らかになってきた。すなわち、①7500年前~5000年前ころ(考古学的な時代区分でいう貝塚時代前1~前2期)、②5000年前~10世紀ころ(貝塚時代前3期~後期)、③グスク時代~近世の3つの時期によって、脊椎動物利用のパターンがかなり明確に違うのである。

 貝塚時代前1~前2期の遺跡では、出土する骨のほとんどがイノシシで、魚骨がごく少ない点が特徴だが、6000年前くらいを境として魚の占める割合が急激に増加する。こうした変化の原因は今のところ明らかでないが、地質学的な研究では約6000~5000年前以降に現在のようなサンゴ礁が成立したと推定されている。また、このころに漁労を盛んに行っていた九州縄文人の影響が奄美・沖縄に強く及んでくる。こうした自然環境や社会の変化が漁労を中心とした生活の発展に関わっているのではないかと考えている。

 貝塚時代前3期~後期では、サンゴ礁域での漁労を中心として、イノシシ猟が加わるパターンが3000~4000年間にわたって非常に安定した様相で継続する。出土する魚骨はブダイをはじめとするサンゴ礁の魚がほとんどであり、この時代の暮らしがサンゴ礁と深く結びついていたことがわかる。島という限られた環境の中で、自然を悪化させず、人と自然との共生関係が非常に長期間にわたって続いたこと、この驚くべき安定性・持続性は世界的に見ても非常に珍しいものといえる。

 こうした安定した様相が、グスク時代(11世紀以降)に入ると一転する。魚の割合が激減し、代わってそれ以前の時代にはなかったウシ、ウマ、ブタ、ニワトリなどの飼育動物が急激に増加するのである。その原因は農耕の始まりにあると考えられる。とくにウシは農作業の役畜として重要なので、その急速な普及は農地の開拓や耕作作業と密接に関連したものであろう。また沖縄諸島では森林性のリュウキュウヤマガメがグスク時代に激減することから、農地の開拓に伴って森林伐採が進んだことが示唆される。いっぽう魚骨は減少し、ブダイのようなサンゴ礁魚類も減少することから、農作業に労力を回すようになった影響で、長らく続いてきたサンゴ礁との深い結びつきが急速に弱まっていくようすがうかがえる。このように、貝塚時代からグスク時代への転換は、農耕の導入によって連鎖的に引き起こされた人と自然の関係性の全体的・複合的な変化であったと考えられる。

 ただし、これまでのグスク時代のデータのほとんどは沖縄諸島のもので、奄美の様相はよくわかっていなかったのだが、近年喜界島で豊富な資料が得られるようになってきた。シンポジウムではそうした最新の話題についても紹介したいと考えている。
(おわり)