「東京での奄美シマウタ伝承」

喜界島方言で「旅人馬」を絵本なしで諳んじる吉野治子さん

「先祖が守ってきた島唄と大島紬は、世界に伝えていきたい。世界に誇れるもの」と熱く語る本田由乃さん

茨城出身の諏訪間美穂さんが島唄披露、囃子は米田リエ子さん

特別ユニットの里、牧岡、徳原の3人と会場から特別参加の太鼓も加わる

六調で酒井さんも一緒に盛り上がる

50人の会員を抱える東京奄美サンシン会の演奏の様子

シマグチとシマウタたっぷり堪能
奄美らしさ失いたくない「最後の砦」
「先祖が守ってきた世界に誇れるもの」

【東京】日本口承文芸学会第72回研究例会と第24回奄美シマウタ研究会共催で、都市語りの可能性(2)「シマグチの響きにふれてみませんか~東京での奄美シマウタ伝承」と題した研究会が11日、國學院大学渋谷校舎で開かれた。会場3502演習室は、参加者があふれるほどの盛況ぶりで100人以上がシマグチとシマウタをたっぷり3時間堪能した。

冒頭のプログラム説明で酒井正子法政大学沖縄文化研究所国内研究員は、都市語りとは、「故郷を出た人々が、時代の変化の中でしなやかにいきながら、なおかつ故郷の言葉を忘れず、口承伝承や芸能によって継承していく活動」(野村敬子)で、今回は奄美シマウタ伝承を取り上げ、最近の都会での歌アシビの復活ともとれる状況を各世代の伝承者を招いて響きを披露したいと目的を説明。最初にシマグチを披露したのは江戸川区に住む喜界島出身の吉野治子さん。喜界島昔話集より「旅人馬」を喜界島方言で、朗々と語った。

ついで酒井さんが奄美諸島でのシマことばの動向を説明。明治期から今日に至るシマことばの変遷を紹介。とくに戦後、禁止から尊重へと大きく揺れ動き、日常語として失われていく現状と、復権運動、シマウタとのかかわりを詳しく報告した。

なかでも小野寺ヒロミさん(沖永良部)の著した「滅び行く“ことば”を訪ねてから」を引用した方言殺人事件のあらましや方言教育の変遷を詳しく紹介。昭和50年ごろが転換期となり、「方言を使おう」という機運がうまれ、2007年からはシマ言葉の日や、行政が取り組みを始める島唄の全国的認知と呼応が進み、現在は、危機言語サミットが開かれるなど「奄美(シマ)らしさを、失いたくない、その最後の砦のような思いを運動の中に見ることができる」と総括した。

続いて、東京での島唄教室設立の状況を説明。それによると、奄美島唄教室(朝崎郁恵1982年83年朝崎教室と改称)=活動停止、東京奄美サンシン会(本田由乃89年)=継続中、奄美民謡武下流東京同好会(武下和平・93年)=継続中、島唄・八月踊り同好会(肥後和郎94年)=活動停止、東京奄美蛇皮線研究会(田中淳・2000年)=十六夜会、森田三味線教室(森田照史・01年)=東京山ゆり会、田春三味線教室(田春茂義03年)=活動停止。会場に訪れて島唄も披露した東京奄美サンシン会の本田由乃代表は「島唄を引き継いできたが日本中、世界中に島唄とそして大島紬を伝えていきたい。先祖が守ってきた世界に誇れるものです」と堂々と語った。

また、朝崎教室とともにカーネギーホールへ渡米した林延宏さんは「当時は多摩川や、御苑、公園で太鼓をたたくと信仰宗教のようでやめてくれと言われ、カーネギーホールの公演ではパトカーが太鼓をたたく我々を保護してくれた。つくづく文化の差を感じた」と当時のことを紹介した。

最後に実演プログラムが目白押し。89年から続く「東京奄美サンシン会」が「朝花節」や、島唄を習って1年半の茨城出身の諏訪間美穂さんが「むちゃ加那節」を披露し、「やちゃ坊節」、「長雨切上り節」、あはがりの元唄と言われる「徳之島節」の5曲を紹介。

関西からやってきた里朋樹、牧岡奈美、徳原大和の若者3人による島唄特別一日ユニットが「朝花節」「くるだんど節」「かんてぃむぃ節」「正月着物」「塩道長浜節」「ヨイスラ節」「一切朝花節」「豊年節」「ワイド節」そして最後に六調と会場を大いに沸かせた。一番若い里さんは「CDにない唄を歌いたい」と変声期で悩んだことを話しながら、今後の抱負も。

最近の都会での島唄教室の動向を尋ねられて酒井さんは「ステージ化しているようなところがあるが、まだマンツーマンで習わないといけない状況を保っている」と報告した。参加者たちは「聞いたことのない唄もあって、たくさん聞けてすごく得した気分でした」と笑顔でひきあげていた。

シマウタの概念

シマウタとは元々奄美のことばで「シマ(集落)唄」のこと。集落の話し言葉(シマグチ)で歌われる土着的な伝承歌謡の総称。2002年以後は、本土の主要レーベルからCD発売される唄者が続き、今では本土の愛好者も多い。シマ唄と島唄。時代とともにありようは変わるが、合わせて「シマウタ」とする。酒井さんは「シマウタは、最近はブランド化している」と傾向を紹介した。