第50回「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭」(円内は、慰霊のことばの彬子さま)=7日午後、伊仙町犬田布岬
【徳之島】第50回「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭」(同実行委員会主催)は7日午後、皇族の三笠宮彬子=あきこ=さま(35)臨席のもと、遺族や来賓、住民など約300人が参加して伊仙町犬田布岬の同慰霊塔前であった。沖縄戦線への出撃途上、米軍の攻撃で艦と運命を共にした戦没将士3737柱に鎮魂の祈りを捧げ、彬子さまは「世界平和への道しるべ」としての慰霊祭の継続を希望された。
戦艦大和(7万2000㌧)を旗艦とする旧日本海軍第二艦隊の10隻は太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月7日、沖縄戦線への海上特攻の出撃途上で米軍機の猛攻を受け、大和をはじめ軽巡洋艦や駆逐艦など計6隻が撃沈。乗組員・将兵3737人もの尊い命が奪われた。
大和から生還した吉田満氏著『戦艦大和ノ最期』に沈没地点が徳之島北方と記述されたこともあり、伊仙町は1968(昭和43)年、犬田布岬に同慰霊塔を建立して毎年慰霊祭を継続。半世紀の節目を迎えた。皇族のご来島・臨席は、同慰霊塔碑銘を揮ごうされた高松宮さまご夫妻の第2回慰霊祭(69年4月)いらい48年ぶり。
慰霊祭は、地元西犬田布婦人会メンバーの鎮魂の舞いで開式。慰霊祭実行委員会長の大久保明伊仙町長は祭文奏上で、「祖国日本の発展は、み霊の尊い犠牲の上に築かれた。恒久平和のためこの慰霊祭を継続します」とも決意。大和の弾薬庫担当だった兄・元一さん(当時27)を失った月本陽蔵さん(83)=兵庫県=も戦争のない世界平和を切望する「新たな誓いのシンボルに」ともつけ加えた。
彬子さまは、慰霊のことばで、同慰霊塔を建立して慰霊祭を継続してきた伊仙町の先人や関係者の熱い思いにふれながら、「慰霊祭の末永い継続をお願いするとともに、この慰霊塔が日本だけでなく世界平和の道しるべになることを祈ります」との思いも伝えた。
三反園訓知事や村川豊海上幕僚長、尾辻秀久参議院議員、金子万寿夫衆議院議員などが次々と慰霊のことば。日本戦没者遺骨収集推進協会会長でもある尾辻氏は「お一人でも故郷に帰っていただくよう全力を尽くします」と、大和など同艦隊戦没者の遺骨収集にも言及。関係者で玉ぐしや白菊を祭壇に供えて慰霊の祈りを捧げた。
節目の慰霊祭には、海上自衛隊の佐世保音楽隊(14人)の演奏や、鹿屋基地第1航空群司令部のP3‐C哨戒機2機の慰霊飛行、岬の沖合いではイージス艦「あしがら」と護衛艦「あさぎり」が慰霊航海するなど花を添えた。