「3人体制で島の拠点になれるよう頑張る」と挑む信島賢誌所長(中央)と宇検村から派遣された隈元裕平主事(右)、大和村出身で事務担当の藤村富士代さんの3人=千代田区平河町の奄美市東京事務所で
【東京】この4月から奄美市東京事務所に宇検村から隈元裕平主事が派遣された。これまで事務担当の大和村出身の藤村富士代さんと2人で切り盛りしてきた信島賢誌所長には心強い相棒がやってきた。新任の隈元主事の紹介と合わせて「今年度は3人で島の拠点作りに頑張っていきたい」と2年目を迎えた信島所長の意気込みを伝える。
奄美東京事務所は、3人で運用できるスペースがあるが一つ机があいていたことから、奄美市以外の町村に呼びかけた。名乗りを上げたのは宇検村。今年度から2年間、奄美市東京事務所で信島所長と行動することになったのが、隈元主事だ。
千葉県生まれ、鹿児島市育ちのIターン者の隈元主事は、鹿児島大学教育学部を経て、鹿児島県の教員採用試験に合格。3年前赴任希望地指定をしなかったところ、大島教育事務所から声がかかり、臨時採用されて、最初の赴任地は奄美大島南部の小学校に。
「1人暮らしもしたことないし、やっていけるかと不安だらけだった。若い人もいないし、何もないところで、1年したら本土に戻ろう」と思っていたが、考え直してもう1年と思い今度は、宇検村の田検小で教鞭をとり、名柄に住んだ。
名柄に1年住んで、「やりたいことができる自由さと、可能性がある」と宇検村に感じた。Iターン者や若者が多く「パワーがあるし、言うだけでなく実行するところに魅力を感じ」、教員ではなく役場に身を投じた。気持ちは「永住しよう」とまで固まった自分にも正直驚いた。鹿児島に住む両親も定年退職したら島に住むと話しているという。
そんなときに、元田信有村長から東京行きを口説かれた。「宇検村にとどまっているばかりではなく、東京で幅広くいろんなことを見聞きして、それを宇検村に還元して欲しい」と。断るつもりは毛頭なかった。「島を出て、都会に出た人たちが島に何を希望しているのか見聞きしよう」と気合が入った。「限られた2年間の中で島の発展のために情報発信していきたい」と抱負を語った。
傍らで話を聞いていた信島所長は28歳の相棒に温かい眼差しを何度も送りながら、「これから2人でいろんなイベントに出かけられるのでありがたい。この3人でこの事務所が島の拠点になれるようにさらにがんばりたい。ぜひ、多くの島っちゅが訪れて欲しい」と2年目の東京での仕事にさらなるパワーアップを目指す。