笹森儀助顕彰碑お披露目

笹森儀助顕彰碑の除幕を行う関係者たち

島民側に立ち尽くした島司
龍 郷 町

明治時代、大島島司(現在の大島支庁長にあたる職)として活躍した笹森儀助の功績を称える「笹森儀助顕彰碑」の除幕式が4日、龍郷町龍郷で行われた。除幕式には関係者ら約60人が参加。その後、市内のホテルで記念式典と祝賀会が行われた。

除幕式には徳田康光町長や、県大島支庁の鎮寺裕人支庁長などの行政関係者が参加。また、笹森の故郷である青森県から地元紙・㈱東奥日報社の松田修一特別編集委員や、笹森のひ孫にあたる笹森靖司さん夫妻も参加した。靖司さんは「大変幸せなこと。自分の子どもたちにも碑を見せたい」と話した。

記念式典では、関係者への感謝状贈呈や、松田特別編集委員による記念講演が行われた。松田特別編集委員は、同碑の碑文作成者であり、12年にわたり笹森についての新聞連載を続けた。講演の中では、奄美と笹森の関わりを説明した後、「笹森は誰にもこびず、ひれ伏さず、弱者のために生きた。これほどに幸せな生き方はない」と笹森の生き方を語った。

笹森は弘前藩で生まれ、探検家として千島列島や沖縄県や奄美群島に訪問。著書『南島探験』(1893年)で、群島民の貧困問題に関し明治政府を糾弾した。

翌94年に大島島司に就任してからは、糖業の改良、教育振興、伝染病対策など4年間の在任中、常に島民の側に立ち、島民に尽くした。また、西郷隆盛を敬愛し、任期中に、同町龍郷の西郷謫居地に勝海舟によって記された碑文を落成させた。

笹森の顕彰碑建立は、同町が来年のNHK大河ドラマに向けて発足した「西郷どんプロモーション実行委員会」の活動の一環として、昨年12月に計画された。関係者の協力や、竹山建設㈱の竹山眞一郎代表取締役からの資金提供で迅速な工事が進み、今年5月23日に完成した。