「奄美・沖縄のヒトと自然の歴史」公開シンポ

公開シンポジウムで行われた総合討論

奄美諸島の雑穀栽培「1980年代ほぼ消滅」
サンゴ資源 長い年月かけ有効活用手立て

日本熱帯生態学会(米田健会長)は18日、奄美市名瀬の奄美博物館で第27回年次大会の公開シンポジウム「奄美・沖縄のヒトと自然の歴史」を行った。同会会員や一般など約130人が参加。各研究者から、奄美・沖縄の歴史や文化に関する報告や会場の会員などとの総合討論があった。

公開シンポジウムは、17日に始まった同学会奄美大会の一部。米田会長は開会あいさつで、「各研究者の最近の知見が報告される。楽しみにしたい」と語った。

新里亮人氏(伊仙町)は、「考古学からみた先史・原史時代の琉球列島」の演題で発表。約6500年前~1000年前の琉球列島で、笠利半島の遺跡分布図などから遺跡が時代を下ると海浜に近接し、貝塚時代後期(約2800年前~1000年前)には貝製品製作が組織化されたことから、「長い年月をかけてサンゴ礁資源を有効に活用する手立てを身に付けた」と考察した。

琉球列島原史文化の特徴について、▽農耕、窯業、城塞構築(社会の複雑化)に伴う環境変化▽サンゴ礁資源は継続的に活用され現在に至る―と例示。新里氏は熱帯的な森林資源とサンゴ礁の継続的利用から、「サンゴ礁の環境に適した人の暮らしがあったといえるだろう」と総括した。

高宮広土氏(鹿児島大学国際島嶼教育研究センター)は、奄美・沖縄諸島の先史・原史時代における植物利用を報告。世界的にみて奄美・沖縄諸島のような島に、狩猟採集民が数千年存在したのは大変珍しいと指摘。農耕について、「8世紀から12世紀の間に始まった」「農耕は奄美から沖縄に拡散した」と推察した。

渡久地健氏(琉球大学法文学部)は、「サンゴ礁漁撈を支える生態的知識―大和村の漁師に学ぶ」の演題で発表。大和村大棚の漁師の聞き書きから、漁師たちがカタマと呼ぶサンゴ礁前面に位置する凹地での漁撈活動を紹介した。

カタマは、魚類が集まり追い込み漁の重要な漁場。渡久地氏は、「旧暦4月以降、イソフエフキなどの魚類がカタマで小さい礫を鼻先で返して甲殻類などを捕食する」「漁師はカタマに網を設置して魚を追い込む」と報告。これと似た例が、名越左源太の『南島雑話』に「ウチベヱと云へる漁猟」として記されていることを紹介した。

竹井恵美子氏(大阪学院大学国際学部)は、奄美諸島の雑穀栽培について報告。奄美諸島で栽培されていたのは、アワ、キビ、モロコシの3種とした。

奄美諸島の雑穀栽培は、1980年代にほぼ消滅したと発表。「アワはよく知られていて儀礼にも使用され、サツマイモ伝来以前は米作に適さない島で重要な食料」と指摘。またアワの冬作栽培について、「台湾やフィリピン、インドネシアに共通性が見られる」とした。

休憩後に、4人の研究者と会場の参加者たちで総合討論。高宮氏の発表に対して、「貝塚時代に、ソテツを食料として利用した例はあるのか」や「時期区分の表記について、生態史的な分類はできないのか」といった質疑などがあった。