子孫がルーツ探し墓参り

初めて名柄の山中で祖先のお墓参りをした金江安浩さん(左から3人目)

宇検役場戸長務めた鼎宮昌禧の功績しのぶ

 廃藩置県で現在の宇検村に設置されていた宇検方役場の戸長(現在の村長職)を務めた鼎=かなえ=宮昌禧=みやしょうき=の子孫7人が14日、ルーツを探して同村名柄に残されていた墓所を訪れてお墓参りを実施した。自身も鼎家に連なる瀬戸内町郷土館・図書館の学芸員の鼎丈太郎さんも同行し、名柄の鼎家跡などめぐり宮昌禧の功績をしのんだ。

 鼎家は、琉球王国の摩文仁親方を祖とする屋宮家から分家。唐通事を務めた初代の宮和気=みやわき=から数えて、3代目が宮昌禧になる。

 同村教委学芸員の渡聡子さんによると廃藩置県を受けて、1875年(明治8)に宇検に戸長と役場を設置。与人職などを務めた碇家から佐渡智が、戸長に就任した。

 宮昌禧は78年(明治11)、三級副戸長に任命。その後田検に移転された宇検方役場の戸長職を89年(明治22)から1908年(明治41)まで務め、31年(昭和6)に死去した。また宮昌禧の一家は30年(昭和5)に、金江姓に改名している。

 今回の先人をたどる旅は、宮昌禧の孫にあたる金江安浩さん(82)の娘郁子さんが発端。ルーツをインターネットで探していて、瀬戸内町の鼎さんが文化財の情報発信していたページで手がかりを得たという。

 鼎さんは宮昌禧さんの子孫ではないが、祖先は初代の宮和気と判明。鼎さんが郁子さんと、鼎家の情報をやり取りして、名柄の墓所めぐりが企画された。

 安浩さん一行は、13日から16日までの予定で来島。この日(14日)、名柄集落の屋宮哲二区長と鼎さんや同村教委の案内で、お墓参りとウントノチ(有力者の居住地跡に残る地名)に残る鼎家跡視察を実施した。

 お墓参りなどを終えて、安浩さんと妻のチドリさんは「祖先の功績をほとんど知らなかった。今回、初めてお墓参り出来て感慨深い」「人が温かくて、感激した。また元気なうちに訪れたい」と語った。その後一行は集落を後にして、同村役場に移動し元田信有村長を表敬訪問した。