面縄貝塚国史跡指定記念シンポ

面縄貝塚の考古学調査のあゆみと保護・活用を考えた国史跡指定記念シンポジウム=17日、伊仙町面縄小体育館

指定は「維持管理、整備活用の始まり」

 

研究者ら発表伊仙町

 

 【徳之島】伊仙町教育委員会主催の2017年度埋蔵文化財公開活用事業「面縄貝塚国史跡指定記念シンポジウム~面縄貝塚から日本考古学の歩みを学ぶ~」が17日、面縄小体育館であった。1928(昭和3)年の同小尋常訓導(教諭)の地元先人の発見―国史跡指定(今年2月)まで80年余。地元研究者や日本考古学関係者ら調査の歴史、功績にも焦点を当てつつ「地域住民と協業」による同史跡の保護・活用のあり方も考えた。

 国指定「面縄貝塚」(第1~4貝塚、3万3376・3平方㍍)エリア内でもある同小体育館には、町内外の調査関係者や住民など約120人が来場。発表では▽中原一成氏(鹿児島県埋蔵文化財センター課長)が「県考古学と面縄貝塚」▽安里嗣淳氏(元沖縄県埋蔵文化財センター長)が「琉球考古学の開拓者・多和田眞淳と奄美」▽新里貴之氏(鹿児島大学埋蔵文化財センター助教)が「奄美をフィールドとした人類学者・三宅宗悦」▽新里亮人氏(伊仙町教委学芸員)が「地元研究者の活躍から明らかとなった徳之島の遺跡」と題し登壇。

 89年前の面縄尋常小訓導(教諭)大村行信氏による同遺跡の発見(面縄第1貝塚)。伊仙村出身で当時新聞社通信員だった廣瀬祐良氏の発信によって、小原一夫氏(当時早稲田大学生)らの発掘調査と第2貝塚発見につながったこと。人類学・考古学・民俗学など幅広い見識で徳之島調査(面縄第1・2貝塚、喜念貝塚、喜念原始墓発掘)に携わった京都帝国大の三宅宗悦氏。米軍政府時代の沖縄の研究者らの調査。復帰後の九学会連合調査(第3、4貝塚発見)―などそれぞれの視点から解説した。

 伊仙町教委の新里学芸員は「地元の協力者たちがいて今回(国指定)につながった。隠れた協力者・功績者がいる可能性があり情報提供を」とも呼びかけた。

 第2部パネル討議に加わった文化庁記念物課の水ノ江和同氏は史跡の意義「地域の誇り、郷土愛、教育資源、観光資源、まちづくりの拠点」など解説。その上で「(国の)史跡指定はゴールではなく、終わりなき維持・管理・整備・活用の始まり」と10年、20年先を見越した整備・活用を要望。

 県埋蔵文化財センターの堂込秀人氏は保存・活用のあり方で「住んでいる人が楽しめて遊べるもの。住民が関わり続けることが大事。学校教育の中に入れ込む必要もある」。調査・研究分野への後継者育成の重要性も強調した。

 【面縄貝塚】縄文時代後期(約3500年前、貝塚時代前4期)を中心とする遺跡。サンゴ礁の浅海に面した海岸段丘や石灰岩地帯に営まれた典型的な集落遺跡。発見された土器「面縄前庭式」「面縄東洞式」「面縄西洞式」「兼久式」は奄美・沖縄の土器編年の基礎的な資料に。伊仙町では「徳之島カムィヤキ登記窯跡」に次ぐ二つ目の国指定史跡。