「世界遺産匹敵する先史文化」

先史時代の奄美・沖縄諸島の歴史などを講演した高宮教授

島嶼研 高宮教授 先史時代の奄美・沖縄考察

 

あまみならでは学舎

 

 県立奄美図書館(石塚一哉館長)は20日、奄美市名瀬の同館研修室で生涯学習講座「あまみならでは学舎」の8時間目と閉講式を開いた。一般など約60人が参加し、講師から世界的にまれな先史時代に狩猟採集民のいた奄美・沖縄諸島の事例などの講話が行われた。

 講師を鹿児島大学国際島嶼教育研究センターの高宮広土教授が担当。高宮教授は先史人類学の分野で、奄美・沖縄諸島を中心に琉球列島の先史時代からグスク時代にかけての歴史を研究している。

 琉球列島の先史学を研究して、旧石器時代に人が住んでいる島などユニークな点が分かってきたと指摘。「世界では10程の島で、旧石器時代の遺跡が報告。琉球列島では、種子島、奄美大島、徳之島、伊江島、沖縄島、久米島、宮古島、石垣島と8島で旧石器時代の遺跡の存在が確認されている」とした。

 奄美で確認された最古の土器は、喜界町の総合グラウンド遺跡出土の刺突条線文土器(約7千年前)と解説。「天城町の下原遺跡からは約6500年前の爪形文土器が出土した層より下の層から土器が発見されていて、時代がさかのぼる可能性がある。奄美・沖縄諸島は先史時代に人が長期間に継続して存在したかもしれない」と考察した。

 旧石器時代の状況を総括して、琉球列島に人がいたことと旧石器次代から継続して人がいた可能性がある点が世界的に珍しいと報告。例外的に狩猟採集民がいた島は、▽面積が広い▽大陸・大きな島の近くに位置している▽食料に大型海獣利用▽食料となる動植物を持ち込む―などの条件が共通すると説明した。

 奄美・沖縄諸島の貝塚時代の植物食は、野生種のみの利用で栽培植物の出現は9~10世紀の貝塚時代後2期と示唆。高宮教授は「遺跡から発見された資料から、奄美・沖縄諸島は長い間継続して狩猟採集民が存在していて食料としてシイなどの堅果類、魚貝類、イノシシを利用していた」と話した。

 奄美と沖縄の初期農耕で利用していた植物に着目すると、「奄美は一つの作物に頼らず各種を利用しているが、沖縄はアワに依存している傾向がみられた」と説明。「資料の年代測定から奄美諸島では8~12世紀、沖縄諸島10~12世紀にかけて農耕が始まり、奄美諸島から沖縄諸島に拡散したようだ」と推察した。

 奄美・沖縄の先史時代について、旧石器時代に狩猟採集民がいて狩猟採集から農耕への変遷があった島として世界的に大変珍しい事例と分析。「奄美・沖縄は人間による絶滅動物がなく、人間集団が入植後も環境への影響がミニマムで自然と調和していた人々がいた島だったかもしれない。解釈が正しければ、世界に一カ所しかない世界自然遺産に匹敵する奇跡的な先史文化だろう」と語った。